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【カルト宗教】麻原彰晃「オウム真理の教祖」

麻原彰晃/Shoko Asahara

オウム真理教の教祖


概要


生年月日 1955年3月2日
死没月日 2018年7月6日
国籍 日本
死因 絞首刑
職業 グル
配偶者 松本知子
子ども 12人
罪状

・殺人

・テロ

麻原彰晃(1955年3月2日-2018年7月6日)は日本のカルト宗教団体オウム真理教の創設者。本名は松本智津夫。

 

1995年に起きた地下鉄サリン事件の首謀者で、ほかのさまざまな事件に関与している。

 

2004年に死刑判決を受ける。2012年5月、オウム真理教のメンバーが新たに逮捕された死刑執行は延期され、最終的に2018年7月6日に絞首刑で死去。

略歴


幼少期


麻原彰晃こと松本智津夫は1955年(昭和30年)3月2日、熊本県八代郡金剛村で生まれた。松本家は非常に貧しく父親は自宅の土間で畳屋をしていた。トタン板を張り合わせた上に藁をかぶせただけのような借家だったという。

 

智津夫は幼いころから自尊心が高く、自分がすでに習得していることを改めて学校で習わされると、露骨にいやがった。ほかの子どもよりも早熟で、特に算数などの能力はずば抜けていた。

 

1961年4月、智津夫は金剛小学校に入学。しかし、智津夫の視力に関して将来を案じた全盲の長兄と両親が、1961年秋に熊本県立盲学校へ無理やり転校させる。

盲学校に入学すると国からは就学奨励金が与えられ、貧しい家庭では寄宿舎での食費は免除され、両親も長兄もそれが自身の生活に適用されるのを知っていたためである。智津夫は目の見える自分が盲学校に行くことに納得がいかず、親に捨てられたと恨みつらみをのちによく話している

 

授業中、智津夫は教師の話もろくに聞かず、ノートによく絵を描いていた。小鳥の絵や動物の絵だった。運動会になると智津夫ははりきった。邪魔だと言わんばかりにほかの生徒に平気でぶつかり、怪我をさせたこともあった。

 

智津夫を慕う者はだれもいなかった。ただひとり、慕うというよりも親代わりのような立場で彼の上に君臨していたのは、専攻科にいる長兄だった。智津夫は長兄には絶対服従で、言うことはすべて聞いた

 

長兄の気性のはげしさは、智津夫以上だった。目の見えている生徒にも、しゃにむに喧嘩を挑んだ。大言壮語の癖があり、どうやったら金が儲かるかという話をよくしていた。智津夫はこの兄から何度も鉄拳を浴びた。長兄は政治についての不満や批判を智津夫に語って聞かせた。長じては『毛沢東全集』を読めといって読ませた。智津夫は毛沢東を尊敬の対象とするようになっていた

 

盲学校の教師によれば、智津夫は自分のために、まわりを利用しようという意識ばかりがあり、長兄に比べて人の上に立ちたいという名誉欲が人一倍強かったという。

 

小学5年のときに児童会長選挙に立候補した智津夫は、同級生や下級生たちに命じて寄宿舎で配られるおやつのお菓子を自分のために献上させ、集めたお菓子を王様のように生徒に配り選挙票を集めようとしていたという。しかし、選挙には落選すると「先生がみんなに票を入れるなと言うてまわった」と他人のせいにした。

 

智津夫は中等部のときも生徒会長に立候補したが落選した。むしゃくしゃしたのか、気にくわないと思った生徒を片っ端から屋上によびつけては殴りつけた。高等部でも生徒会長に立候補したが落選。立候補演説のとき、壇上から「私をどうか生徒会長にしてください」と泣いて訴えたという。

 

高等部3年のとき、田中角栄が総理大臣になると、田中の伝記に影響を受ける。医者になろうと高等部三年の三月はじめ、智津夫は熊本大学医学部を受験するが、二日目を休み不合格。

 

大学受験と前後して、柔道の初段を獲得する。盲学校の生徒としてはまれにみる出来事に構内はわきかえった。智津夫も両方の手につくった拳を天に突き上げて、全身でよろこびをあらわした。生まれてはじめて周囲の人びとから拍手を贈られたのは武道だった。

 

その後、盲学校にのこり、専攻科にすすんだ智津夫は鍼灸の免許をとり卒業する。


■参考文献

・『麻原彰晃の誕生』