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【見世物】ピーター・ロビンソン「生きた骸骨」

ピーター・ロビンソン/ Peter Robinson

生きた骸骨


概要


生年月日 1873年4月8日
死没月日 1947年
国籍 アメリカ
職業 エンターテイナー

ピーター・ロビンソン(1873年4月8日-1947年)は"タバコの悪魔"や"薄男"や"生きたドクロ"という売り込み文句で知られる見世物芸人。

 

おもにコニー・アイランドのカーニバル・サーカス・サーキットやリングリング・ブラザーズ・サーカスで長く活動していた。1932年のトッド・ブラウニングの映画『フリークス』にも出演しており、ブロードウェイの劇場にも少し出演したことがある。

 

ロビンソンは1873年4月8日にマサチューセッツ州のチコピーで、バーモント州出身の父アブラハム・ロビンソンとの子供として生まれた。ロビンソンは誕生日を4月6日、生まれた場所はマサチューセッツ州のスプリングフィールドと思っていたが、正式な出生登録は前者である。彼の両親はアメリカで生まれたが、カナダ人の系統だったという。

 

18歳になって体重が急激に低下しはじめるまで、ロビンソンはごく普通の平凡な子供時代を過ごしたという。

 

見世物芸人として働きはじめたころの体重は58ポンド(約26キロ)だった。ロビンソンは自分自身で"生きた骸骨”と売り込み文句を付け、元祖"生きた骸骨"としてサイドショーとして活躍していたイサク・W・スピローグと同じ系統の芸人であることを強調した。

 

1922年1月、ロビンソンは南アメリカに長期巡業に出て、同年11月にアメリカへ帰国する。1916年にニューヨークのサイドショーの同僚で467ポンド(212キロ)の18歳の豚女ベビー・バニー・スミスと結婚。2人の間に2人の子どもをもうけた。

 

サイドショーの見世物芸人であったにもかかわらず、彼はアカデミックな訓練を積み、シェイクスピア風の役者としても活躍しており、ブロードウェイの舞台にあがったこともある。

 

一般的によく知られているキャリアはトッド・ブラウニングの映画『フリークス』の出演である。また、彼は熟練したハーモニカ演奏者でもあった。

 

1940年までロビンソンは、マサチューセッツ州アガワムに住む妹ジョセフィーン・ロビンソンと彼女の夫チャールズ・スライトらと暮らしている。

豚女ベビー・バニー・スミスと。
豚女ベビー・バニー・スミスと。

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