【解説・まとめ】2019-2020年香港抗議デモ「香港返還以来最大のデモ」

2019-2020年香港抗議デモ / 2019-2020 Hong Kong protests

香港返還以来最大の抗議デモ


香港抗議デモの理由・原因


日付 2019年6月9日〜
場所 香港各地
原因

・2019年逃亡犯条例改正案

・香港警察による市民への暴行

・香港の中国化

2014年雨傘運動の失敗

逃亡犯条例改正案の撤廃


「2019-2020年香港抗議デモ」は、香港議会が提案した「2019年逃亡犯条例改正案」と呼ばれる修正法案の導入に対する反発からはじまった香港の一連のデモ活動。

 

2019年6月9日の「103万人デモ」、同16日の「200万人デモ」以来、現在も進行中の大規模なデモ活動である。

 

2018年2月17日、台湾で発生した香港人カップルの殺人事件が起きた。帰国後、犯人の男・陳同佳は彼女のキャッシュカードを使い2.4万香港ドル(32万円)を引き出し、また彼女のスマホとカメラを盗んだ疑いで香港警察に殺人罪とは別件で逮捕された。

 

2018年8月、男は資金洗浄の罪で起訴される。その後、台湾が香港政府に対して香港に逃げ帰った殺人犯を引き渡してほしいと要求した。しかし、香港政府は逃亡犯条例を理由に台湾にひきわたすことができなかった。なぜなら、現在の香港の法律では「中華人民共和国のその他の部分(台湾、中国本土、マカオなど)」の間で犯罪人を引き渡しができないようになっているためだ。

 

この事態を受け、香港政府は2019年2月、台湾へ逃亡犯を引き渡せるようにできる逃亡犯条例の改正案提出を発表した。しかし、この法案には問題があった。台湾へ逃亡犯を引き渡しできるようになるだけでなく、台湾や中国本土で犯罪を犯したものが香港が逃げ込んだ場合、香港当局は犯罪逃亡者を拘留し、本土に引き渡すことが可能となる内容になっていた。

 

香港人たちは、この法案は香港居住者や訪問者を中国本土の管轄権にさらすもので香港の自治権や市民の自由を損なうことを懸念した。なぜなら、香港という街はもともと中国本土から逃亡した人たちで構成された街で、市民の多くが中国本土からすれば逃亡犯のためだ。こうして抗議デモが始まった。

 

当初は「逃亡犯条例改正案の完全撤回」の抗議デモだった。しかし、抗議活動の進展につれ香港警察のデモ隊への暴力が激しくなり、抗議者たちは「5つの要求」を議会に求めた。

  • 逃亡犯条例改正案の完全撤回(達成済み)
  • 普通選挙の実現
  • 独立調査委員会の設置
  • 逮捕されたデモ参加者の逮捕取り下げ
  • 民主化デモを暴亂とした認定の取り消し

要約すると警察によるデモ参加者に対する不正行為や暴力行為を罰することと、2014年の雨傘運動以来停滞していた普通選挙による民主的政治の再開の要求である。中国中央政府は、1997年の返還以来「香港で最悪の危機」と抗議運動を表明している。

 

法案に対するデモは3月と4月にはじまり、6月には継続的な大衆運動に変化した。6月9日に103万人がデモに参加し数10万人が法案に反対した。以降、抗議デモはエスカレーションしていった。機動隊は催涙ガスとゴム弾を発射したが、抗議者たちは議会の機能を妨害させることに成功した。

 

その後、抗議活動は夏の間止むことなく続き、警察、活動家、反社会的勢力と思われる人物、地域全体の20以上の異なる住民を巻き込みながら暴力性がエスカレートする。

 

9月4日、林鄭月娥は逃亡犯条例改正案の完全撤回を正式に表明した。しかし、林鄭月娥はほかに残っている4つの要求、すなわち、警察によるデモ隊への暴力行為に関する調査を目的とした独立委員会の設置、逮捕された抗議者の釈放、「暴動」と認定したデモ活動の完全な取り消し、林鄭月娥行政長官の辞任に対しては譲歩することを拒否した。

 

2020年の元旦抗議デモでは100万人が参加し、収束する気配は見せない。

重要ポイント

  • 逃亡犯条例改正案の撤回から始まった抗議デモ
  • 活動の発展にともない「5つの要求」を議会に求めている
  • 世界で最も巨大な抗議デモであり継続性がある

なぜ他の抗議デモよりなぜ大規模かつ継続的なのか?


逃亡犯の集合体というDNA


香港がほかの抗議デモと異なりなぜこれほどまでに大きな運動が、起こり、かつ長期的にわたって続けられているかに関して香港研究者の倉田徹氏は、逃亡犯条例の改正問題が香港の「DNA」に触れる切実な問題だったことだと指摘している。

 

香港人の大半が逃亡犯に対する大陸への引きわたしに過剰に反応するのは、おそらく香港そのものが「逃亡犯」の街だったという歴史が大きい。

 

第二次世界大戦後、中国では国共内戦から毛沢東の独裁となったとき、飢饉や迫害を逃れるために本土から多くの中国人が香港へと逃亡した。そうした難民と、その子孫が多数派を占めるのが現在の香港である。

 

中国本土でできない人たちが逃げるように集まって発展した街であり、「中国大陸ではできないこと」を行う自由を「罪」とみなすなら、香港人にとっては生存空間はないようなものである。そのため、大規模で抗議デモになったのである。

明確なリーダーや組織が存在しない


また、この抗議デモには明確なリーダーや組織が存在しないことも長期継続の要因となっている。リーダーが逮捕されたり、意見対立で内紛が発生し、組織や運動が瓦解することが無いようにするためだと言われている。 香港人はリーダー不在に慣れている。香港人はリーダーを信用せず、自らが主体となって自由に行動することを志向する。

 

政治指導者に率いられ、従うという行動原理自体、香港にほぼ存在しない。意見が違う場合は、内紛するよりも各自が独自の路線を追求し、互いに干渉しないようにしつつ、同じ山の頂上を目指すようにしている。

 

「兄弟とともに山に登り、各自努力せよ」というスローガンがある。雨傘運動では和理非派と勇武派が互いに非難しあった結果、運動が失敗した。今回はこのスローガンのもと、互いのやり方で努力するという意味がある。

匿名インターネットツールの活用


リーダー不在の運動の継続を可能にしている要因の1つにインターネットも挙げられるだろう。香港はインターネットや携帯電話の普及率が極めて高く、特定のSNSやアプリに対する規則もほぼない。SNSやYouTubeなどが運動の宣伝や情報共有に役立っている。ここまでは「アラブの春」と同じだろう。

 

今回の運動で特に重要な役割を担ったのが匿名性やセキュリティが高いTelegramだ。テレグラムは個人のアカウントは電話番号のみで開設できる。香港で携帯電話やスマートフォンはSIMフリーで、かつプリペイド方式の電話番号付きSINカードが簡単に入手できるので、一人で複数の使い捨てアカウントを作成できる。

 

Telegramは送信したメッセージを削除することが可能で、その場合、相手の画面からも削除される。また、一定期間オフラインが続くと、アカウントは自動的にそれまで送信したすべてのメッセージや連絡先情報とともに削除される。

 

また、一対一のチャットでは、ログアウトするとそれまでの履歴をすべて消去できるシークレットチャット機能も備えている。Telegramのグループチャットやチャンネルがデモ隊のアプリとして活躍している。

 

ほかに、香港のネット匿名掲示板(5ちゃんねるのようなもの)連登(LIHKG)も今回の抗議デモで役立っている。情報交換や戦術についての討論、デモに関する行動を追跡するなどの役割を果たしている。常に中国からのDDOS攻撃を受けているが、管理者が勇敢に対抗し、いまだに運営している。

連登(LIHKG)
連登(LIHKG)

Be water


水になれ。元々ブルース・リーの哲学で、水のようにあらゆる形になることは最強の戦い方であると言われていた。今回の抗議デモは「Be water」というスローガンのもと、雨傘革命のときと異なり長期的な占拠よりも短期的に出現と撤退を繰り返す行動を取る方針。

地理的な拡散


今回の抗議デモの特徴としてほかに地理的な拡散がある。これまでのデモは政府機関や大企業が集中する香港島で行われてきた。しかし、7月以降抗議デモは、九龍半島や郊外の新界、香港国際空港でも発生するようになった。

香港は日本や国際社会に何を望んでいるのか?


香港の抗議デモに参加している人たちは、まずは日本および国際社会に対して香港の現状を知ってもらうことが一番重要だと考えている。香港に来てデモに参加してほしいとか、日本で集会をしてほしいとか、金銭的援助などは求めていない。自衛隊の派兵も望んでいない。

 

日本の人たちが香港に対して知りたいという要望が多くなれば、マスメディアは香港に関するニュースや記事を増やし、やがては地方議員、国会議員、内閣、総理大臣へも影響を与えるようになる。

 

そして、一般の人々に足しては、継続して香港の現状をフォローし、機会があれば周囲の人に「香港の若者が頑張っているよ」と声をかけてほしい。そしてもし香港の若い人を見かけたら、「香港加油(香港頑張れ)」と声をかけてほしい。

2019-2020年香港抗議デモのまでの抗議の歴史


香港は、1997年にイギリスから中国に返還されるにあたり、50年間は資本主義を採用しながら外交と国防を除いて中国と異なる制度を維持する高度な自治が認められた。

 

香港の憲法にあたる香港特別行政区基本法には中国本土では制限されている言論・報道・出版の自由、集会やデモの自由、信仰の自由などが明記された。

 

しかし中国中央政府が2002年、香港域内で動乱を起こし、国家を分裂させるなどのいかなる国家への反逆行為も禁止するという香港特別行政区基本法23条を成立させようとした。この法律は何をもって国家への反逆で分裂させる行為なのか、何をもって国家機密であるかの定義があいまいで国家によって適当に罪名が付けられてしまう危険性があった。

 

もし、この法律が可決されると、香港での集会やデモの自由も制限され、民主運動の活動家や中国政府に異を唱える人々は、いつどこでも政府により逮捕されてしまう可能性があった。

 

これに対し香港住民から強い反発が起こった。そして6周年にあたる2003年7月1日にこの立法に反対する50万人の香港市民が集結する激しいデモが起こった。この予想以上の反発に驚いた中国中央政府は立法を先送りにした。その一方で香港政府への介入をより強めていくことになった。

 

2012年には『国民教育』と呼ばれる中国共産党の思想に沿った歴史館を教える愛国教育を導入しようとする。中国共産党を賛美し、過剰な反日教育を煽るような内容を子どもたちに学習させることに激しい危機感を覚え、学生はもちろんその父兄たちから猛反発を受けた。

 

香港のトップである行政長官選挙においては2017年から一人一票の普通選挙が導入されるはずが民主派候補の当選を危惧した中国は、行政長官候補は中国中央政府の指名委員会で過半数の支持を受けた者、かつ、2〜3名に限定すると決定した。これで実質的に親中派の者しか立候補できないことになる。

 

それに反発した黃之鋒らをリーダーとする「学民思潮」の呼びかけで授業をボイコットした学生や民主派グループを中心に、香港中心部のセントラルや旺角をバリケードやテントで占拠。民主主義的な手続きによる普通選挙を求め79日間もの抗議を続けた「雨傘運動」が2014年に発生した。雨傘運動は長期化による市民の疲弊や道路の占拠などで市民からも反発を受け失敗に終わる。雨傘運動の指導者たちはさまざまな罪状で投獄された。香港政府による統制もより厳格なものとなった。

 

一部の若者たちは雨傘運動のような平和的デモ行動では効果がないととわかると過激化する。2047年以降の香港の前途について自ら決定することを求める「自決派」や、大陸や香港の利益を優先することを説く「本土派」などの新しい政治勢力が台頭し、香港の独立を訴える「独立派」まで現れた。

 

しかし、こうした新しい政治勢力の出現、なかでも「香港は中国の一部」とする香港基本法に違反する主張は中央政府と香港政府を怒らせた。2016年2月、香港の九龍中心部の旺角で屋台の取り締まりに端を発した「旺角騒乱」と呼ばれる、過激民主派と警察部隊との衝突が起こる。

 

警察は威嚇射撃を行い若者を中心にデモ参加者24人が拘束され44人が負傷するという事態になった。そして、このデモに参加した過激民主派団体と主要メンバー、また「独立派」とみなすものに対し今後、政治活動や議員選挙への参加を禁止するなどの圧力がかけられた。香港の法律上守られるべきの「結社の自由」も脅かされている。

 

2018年に入ると独立派に対する攻撃はエスカレートした。雨傘運動の主要メンバーの一人である周庭は、香港の将来を住民投票によって自主決定することを主張する「自決派」だったが、独立派とてみなされ、選挙への立候補が認められなくなった。

香港親中派、民主派、本土派、自決派、独立派の違いについてより
香港親中派、民主派、本土派、自決派、独立派の違いについてより

団体・主要人物


・青いリボン

親中派よりのグループ。警察を支持している。おもに中年、高齢者と近年中国本土から来た新移民が支持されている。一部過激な支持者にはレノンウォールを破壊したり、レノンウォール付近にいる若者に喧嘩を売ったり、襲撃したりもする。

 

・黄色いリボン

政府に反対するグループ。おもに抗議デモを支持している。特に10代から30代が支持層。黄色リボンはさらに和理非派と勇武派に分かれる。

 

・和理非派

和平、理性、非暴力の略称で、これらの3つの主義に基づき民主を求めたいという立場のグループ。抗議デモではおもに宣伝、後方支援、物資の輸送、調達などの役割を果たしている。

 

・勇武派

権力と対抗にするために武力を使って民主を求める立場のグループ。武力といっても無差別の暴力ではなく、要求を表明するための武力である。抗議デモの初期では、和理非派を守りながら警察とともに第一線で対峙したり、バリケードを作った。その後、抗議デモがエスカレートすると警察に対抗するために投石と放火で距離を作って撤退の時間を稼いだり、攻撃で警察を脅かしたり、市民の不満を表現するようになった。

 

・白い服の団体

暴力で抗議デモ隊に対して攻撃をするグループ。正体は不明だがおそらく反社会的勢力とみなされている。デモ隊を目標するとはいっても、実際、一般市民の区別なく無差別攻撃をしている。

 

・鬼

スパイのこと。警察はときどきデモ隊を装ってデモに潜入し、過激な行動をとることで参加者を逮捕する口実をつくり、実際に逮捕する。

マスコミでよく見かけるガスマスクに黒ずくめの攻撃部隊は「勇武派」
マスコミでよく見かけるガスマスクに黒ずくめの攻撃部隊は「勇武派」

2019-2020年抗議デモ年表

2020年


・1月1日、主催者によると、元旦の抗議デモの参加人数は2019年の6月9日を超え103万人以上に達した。警察の許可を得た抗議デモたったが、警察は突然デモを中止し、催涙弾、ペッパースプレー、放水車などをデモ隊に向けて発砲した。さらに、多くの市民が理不尽に逮捕された。

2019年


・2月13日、改正案の提出が行われる。

 

・3月31日、最初の反対運動。主催者発表では12,000人が参加。

 

・4月28日、民間人権陣線がデモを実施した。デモ集団は銅鑼湾の東角道から立法会総合ビルまで移動、主催者発表で13万人、警察発表で22,800人が参加、林鄭月娥の香港特別行政区行政長官就任(2017年7月)から2019年4月までの参加人数が最も多いデモとなった。

 

・5月10日、民間人権陣線は立法会総合ビルの外で改正案反対集会を実施、立法会ビルの会議室に留まる民主派議員を応援した。集会には約1,000人が参加した。

 

・6月9日、逃亡犯条例改正案に反対する3度目のデモ。主催者発表で103万人、警察発表で24万人が参加し、いずれも2003年7月以降では最多となった。6月9日のデモでは午後3時よりヴィクトリアパークから立法会総合ビルまで移動する予定だったが、予想以上の人数により午後2時20分に前倒しで開始、午後10時まで続いた。当日は主催者の呼び掛けで、大勢の参加者が「光明」を象徴する白服を着用していた。なお、103万は香港の人口の1割以上に相当するが、香港政府は同日午後11時に6月12日の第二読会の予定を変更せず、改正案にはいかなる変更も加えないと発表した。報道においてはこの日(6月9日)以降デモが本格化したと表現する場合もある。

 

・6月12日、添馬公園で集会していた市民が立法会の第二読会を阻止すべく、夏慤道と竜和道を占拠しようとし、警察はビーンバッグ弾で鎮圧を試み、20人以上が負傷する結果となり、そのうち多くが頭を撃たれていた。香港電台の運転手1人に催涙弾が命中して頭を負傷、一時は心臓が停止するほどの重傷だったが後に快方に向かった。警察は少なくとも11人を逮捕、さらに警察官を病院に派遣して、治療を受けているデモ参加者を逮捕しようとするに至った。

 

・6月15日夜、デモに参加した男性梁凌杰がパシフィックプレイスの屋上から落下し、搬送先の病院で死亡した。

 

・6月16日、主目的を逃亡犯条例改正案の完全撤回と逮捕されたデモ参加者の釈放とした。デモは予定通りに実施され、主催者発表で200万と1人(「1人」は15日に落下死した男性を指す)が、警察発表で33万8千人が参加した。参加者は主催者の呼び掛けで、12日の警察による鎮圧を非難する象徴として、黒服を着用しデモ行進をしていた。以降、黒服がデモ者の特徴となり、それからの集会・デモ・衝突にも黒服を着用している参加者も多数存在している。なお、ブラック・ブロックという戦術を実践する為でもあった。

 

・7月1日、デモ隊が香港立法会を一時占拠し、2日に警官隊が強制排除を行った。

 

・7月21日、元朗駅で午後10時半ごろ、白い服に覆面姿の男達(三合会の構成員と見られている)がデモ参加者の特徴である黒い服の人々を襲撃して木の棒で殴りつけるなどして暴行。デモ参加者や巻き込まれた利用客を含めた45人が負傷した。

 

・8月12日、数千人規模のデモ隊が香港国際空港のロビーを占拠し、ほぼ全ての発着便が欠航した。13日午後にも千人前後のデモ隊が空港ロビーに座り込みを行い、数百便が欠航となった。同日深夜にはデモ隊と機動隊が衝突した。この事態を受け、裁判所は8月14日、空港の使用妨害を禁止する臨時命令を発表した。

 

・8月23日、「バルトの道」に影響された約21万の人々が、50キロにわたる長さの人間の鎖「香港の道」を作った。

 

・8月31日には太子駅にて特殊戦術小隊の隊員らが地下鉄の車両までデモ参加者を追いかけて催涙スプレーを噴射した上、無抵抗の参加者らを警棒で次々と殴打。「警察は黒社会だ」と叫ぶ人を映した動画がテレビやネットで繰り返し流れた。

 

・9月1日、デモ隊は香港国際空港のターミナルを包囲し、出入口にバリケードを築いて妨害を行ったが、2時間ほどで警察により排除された。また、香港国際空港に通じる道路や機場快線の線路が封鎖され、東涌駅の施設が消火栓による放水で破壊されるなどの被害を受け、長時間運転を見合わせた。

 

・9月4日、行政長官は逃亡犯条例改正案の完全撤回を正式に表明したが、「五大要求」の他の4要求には応じない姿勢を改めて示した。

 

・10月1日、国慶節には、香港全土で抗議活動が行われ、デモ隊のターゲットとなっている政府関連施設、香港MTR、親中派と見なされている商店が多数破壊されたほか、デモ隊に向かって初めて実弾が発射され(それまでにも、警告ための空への発射はあった)、被弾した高校生が重体となった。

 

・10月4日、香港政府は1967年の香港暴動以来52年ぶりとなる、戒厳令に近い権限を行政長官に与える超法規的措置「緊急状況規則条例」を発動し、デモ隊のマスクや覆面の着用を禁止する「覆面禁止法」の制定を発表、5日に施行した。

 

・10月16日、民間人権陣線のリーダー岑子傑が旺角地区でハンマーを持った4、5人に襲撃され、病院に搬送された。

 

・10月20日、香港・九龍側の尖沙咀では政府未許可の大規模デモが行われる。

 

・11月4日未明、香港科技大学の男子大学生周梓楽は、前夜に警察とデモ隊との衝突があった将軍澳尚徳邨の立体駐車場の敷地内で意識不明で倒れていたところを発見され、11月8日午前8時09分、死亡が確認された。警察の追捕から逃げる過程で誤って転落したとみられるが、一連の抗議活動で自殺以外の犠牲者がでるのは初めてである。

 

・11月11日には、8日に死亡した大学生に対する抗議活動が早朝から全土で行われ、デモ参加者に向け警察官関家栄が続けざまに実弾を3発発砲し、抗議活動に参加していた若者少なくとも2人が負傷した。銃声がした直後に黒い服を着た2人が路上に倒れ込み、2人の警察官によって地面に押さえつけられたが、このうち1人は逃走を図ろうとして警察官に取り押さえられた。 警察が実弾を発砲し負傷者が発生したのは、10月1日、4日に続いて3度目となる。

 

・11月12日、香港中文大学構内に警察が強行突入し、催涙弾や放水車を使い学生を多数拘束。籠城する学生は、火炎瓶や弓矢で応戦し「戦場」と化した。この影響で、大学側は今学期の授業を全て中止にし、香港教育局は14日~18日まですべての学校の臨時休校を決定した。また、中国や台湾等から留学中の学生の帰国が相次いだ。

 

・11月16日、人民解放軍駐香港部隊が駐屯地外で道路に散乱したレンガを撤去する清掃活動を行った。香港政府は出動を要請しておらず、部隊による自主的な活動としている。これまでも駐屯地内においてデモ隊に向け警告を発することはあったが、デモに関連して駐屯地外での活動は初。

 

・11月18日、香港高等法院は「覆面禁止法」が香港基本法(香港の憲法に当たる法律)に違反しているとの判決を下した。これを受け、香港警察は同法による逮捕を一時見合わせていたが、香港政府が上訴し、22日、政府の求めに応じて29日までの取り締まり再開を認めた(その後、12月10日まで延長が認められる)。

 

・11月19日、米上院は香港人権・民主主義法案を全会一致で可決した。

 

・11月24日、香港では2019年香港区議会議員選挙の投票日。投票率は71.2%。選挙戦の結果、選挙前は約3割にとどまっていた民主派議員は選挙後に8割以上に増え、田北辰や何君堯など選挙前は約7割を占めていた親中派議員が激減し、市民の求める五大要求等の要求の達成を政府に求める力強いシグナルが送られた。

 

・11月27日、アメリカ合衆国大統領のドナルド・トランプが香港人権・民主主義法案に署名した。

 

・12月8日、香港では五大要求の内、達成された「逃亡犯条例改正案の完全撤回」を除く残り4つの要求に従うよう改めて政府に要求するためにデモが開かれた。主催者発表で最大約80万、警察発表で最大約18.3万人が参加しているこの参加人数は、11月に民主派が圧勝した2019年香港区議会議員選挙以降で最大の規模となった。市民は引き続き残り4つの要求である「普通選挙の実現」や「独立調査委員会の設置」などを求めている。

 

・12月25日、クリスマスを迎えた香港では、ショッピングモール等でデモ行進が行われた。この日も、警察は催涙弾を使用した。

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