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【世界のシリアルキラー】ウィリアム・ウネク「義の制服をまとった、アフリカ最大の殺戮者」

ウィリアム・ウネク / William Unek

義の制服をまとった、アフリカ最大の殺戮者


概要


生年月日 1929年頃
死没月日 1957年2月20日
活動国 ベルギー領コンゴ
確定犠牲者 57
職業 巡査

1950年代のアフリカで、一人の警察官が突如として大量殺人者へと変貌した。ウィリアム・ウネク――わずか二度の凶行で57人もの命を奪った男の名は、今なお衝撃と恐怖を伴って語られる。

 

ウネクは1929年頃に生まれたウガンダ人で、アチョリ族の出身だった。職業は警察官、つまり本来は人々を守るはずの立場にあった。しかしその肩書きは、やがて信頼を裏切る凶器へと変わっていく。

 

彼の凶行は二度にわたって起きた。

 

最初の殺戮(1954年)
ベルギー領コンゴのマハギ近郊で、ウネクは斧を手に取り、わずか1時間半の間に21人を殺害した。動機は一切解明されず、ただ人々はその惨状に震え上がるばかりだった。彼はそのまま逃亡し、タンガニーカ準州へと潜伏した。

 

 

二度目の殺戮(1957年)
その3年後、彼は再び凶行に及ぶ。きっかけは上司との「人間関係のもつれ」とされるが、真相は闇に包まれている。1957年2月11日の未明、彼は警察のライフルと50発の弾薬、そして再び斧を携え、マランパカ村(現タンザニア、ムワンザ南東約64km)で虐殺を始めた。

わずか12時間の間に――

  • 銃で10人の男性、8人の女性、8人の子どもを射殺

  • 斧で5人の男性を惨殺

  • 刃物で1人を刺殺

  • 女性2人と子ども1人を焼殺

  • 15歳の少女を絞殺

 

合計36人が犠牲となった。犠牲者の中には、彼の妻や、警察幹部の妻までも含まれていた。

 

大捜索と最期


大虐殺の後、ウネクを追ってタンガニーカ史上最大の捜索が始まった。ワスクマ族の住民、警察、さらには「キングズ・アフリカン・ライフルズ」の部隊まで投入され、犬や航空機を使った捜索が連日展開された。懸賞金は350ポンド。しかし9日間、彼は追跡をかわし続けた。

 

転機が訪れたのは、マランパカからわずか3キロの地に住むイユンブ・ベン・イクンブの家だった。空腹に耐えかねて現れたウネクに食事を与え、イユンブは二時間近くも彼と会話を続けながら警察の到着を待った。翌未明、警察が突入。煙幕弾が放たれて家が炎上する中、ウネクは負傷しながら逃走を試みたが、ついに力尽き、搬送先のムワンザ病院で2月20日に死亡した。

 

 

その勇敢な働きにより、イユンブは125ポンドと「大英帝国勲章(BEM)」を授与された。

犠牲者・社会への影響


二度の殺戮による犠牲者は合計57人。しかも犯人が現職警察官だったことは、地域社会に計り知れない衝撃を与えた。住民にとって「守るべき存在」が「脅威」へと変貌した事実は、信頼そのものを根底から揺さぶった。

 

ウィリアム・ウネクの名は、動機の不明確さと残虐さゆえに今も歴史に残る。彼の凶行は、権力を持つ人間が狂気に陥ったとき、社会がいかに脆く崩れ去るかを示す悲劇的な証左である。そして、その結末は一人の市民の勇気によって幕を閉じた。


■参考文献

https://en.wikipedia.org/wiki/Abul_Djabar、2025年9月7日アクセス