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【解説】アンダーグラウンド「主流と異なるオルタナティブな文化」

アンダーグラウンド / Underground

主流と異なるオルタナティブな文化


概要


アンダーグラウンド(アンダーグラウンド・カルチャー)とは、自分たちの文化が、社会や文化における主流とは異なると自認しているオルタナティブ文化のこと。また、主流側から異なる文化と認知される場合もアンダーグラウンドという。

 

もともと「アンダーグラウンド」という言葉は、「地下(アンダーグラウンド)」という言葉は抵抗者たちの秘密活動を言及する際に使われており、特に抑圧的な体制下における抵抗者たちの水面下に密かに行われていた秘密活動を指す言葉として、レジスタンス運動の歴史の文脈を起源としている。

 

たとえば、「地下鉄道(アンダーグラウンド・レイルロード)」という言葉は、19世紀にアメリカでの黒人奴隷が自由になろうと奴隷制が廃止された北部へ逃亡するための逃亡路、また逃亡を助ける秘密組織のことを指してた言葉であり、地面の下に道があるという物理的な意味ではない

 

その後、アンダーグラウンドという言葉自体は、第2次世界大戦のレジスタンス運動を指し示す言葉として使われた。ナチス占領化にあったフランスのレジスタンス運動などはアンダーグラウンドと認識されていた。

 

戦後、1960年代になると、ベトナム戦争の兵役を逃れるためカナダへ逃亡するための逃亡路、また逃亡を助ける秘密組織を指す言葉として地下鉄道という言葉が再び使われ始めた。

 

1970年代になると、占領下にあるアメリカ先住民たちの居留地外やアメリカ・インディアン運動による秘密におこなわれた人々や物々の動きを指す言葉として使用された。

 

アンダーグラウンド・カルチャーという言葉も、このような政治や社会運動から派生したものである。それは、物理的な意味で地下で活動していた文化(ライブハウス)という意味ではなく、主流文化から逃れる、あるいは対抗するための代わりの(オルタナティブ)文化という意味で生まれた。

 

その後、アンダーグラウンドは、モッドカルチャー、ヒッピー・カルチャー、パンク・ロック、テクノ・ミュージック、レイブ・カルチャーなど、さまざまなサブカルチャーを指し示す言葉に変わっていった。

 

日本でも1960年代ころから、アメリカのアンダーグラウンドに刺激を受けた文化人たちが、この言葉をカタカナで日本で使い始めるようになる。ただし、日本ではメディアによって「アングラ」と省略され、1960年代に「アングラ・ミュージック」や「アングラ映画」や「アングラ演劇」などという言葉と一緒に主に使われるようになった。

重要ポイント

  • 社会や文化におけるメインストリームと異なると自認している文化
  • 抑圧的な体制下における抵抗者たちの政治的組織、コミュニティ
  • 現在はヒッピー、パンク、レイブなどサブカルチャーを指し示す言葉になっている

各業界によるアンダーグラウンドの定義


未修正の言葉「The underground」は、第二次世界大戦のレジスタンス運動を指し示す一般的な言葉だった。

 

その後、1960年代のカウンター・カルチャー運動のときに「アンダーグラウンド」という言葉が再び使われるようになった。この言葉は音楽、映画、芸術などあらゆるジャンルで使われるようになったが、ジャンルによってやや意味合いは異なる

 

映画業界において「アンダーグラウンド(underground)」という言葉は、1957年に画家で美術評論家のマニー・ファーバーが、クライム映画やギャング映画を制作していた監督の作品を言及する際に初めて紙上で「アンダーグラウンド・フィルム」と評して使った。

 

当時、ファーバーがアンダーグラウンド映画として評価していた監督は、ハワード・ホークス、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー、ヴェルナー・ヘルツォーク、ウィリアム・A・ウェルマン、ラオール・ウォルシュ、アンソニー・マン、アンディ・ウォーホル、ミシェル・ショー、シャンタル・アケルマン、ジョージ・クチャーなどである。

 

音楽業界において「アンダーグラウンド」という言葉は、フランク・ザッパ「メインストリームが近づいて来るかもしれないが、あなたはアンダーグラウンドへ進まなければいけない」という有名な言葉を残し、音楽における「アンダーグラウンド・ミュージック」を定義付けようとしていた。アンダーグラウンド音楽は

 

芸術業界において「アンダーグラウンド」という言葉は、一般的に企業による経済的支援を望まないアーティストを意味していた。

 

しかし、インターネットが登場すると、多くの専門家たちは、ローカルにある点在している非常に多くの芸術、政治思想、音楽を見つけることが簡単になったので、これまでのように水面下に密かに行われていた「文化としてのアンダーグラウンド」はすでにないと話している。インターネットは大規模で確立された企業から支援されなくても、自分自身の作品や思想を伝える手段を与えたためである。

 

2000年以降において「アンダーグラウンド」という言葉は、インターネット上では表には出せないような裏(違法・非合法行為)の世界、及びそれを扱ったサイトの通称のことを言うケースが多い。

パリ実存主義からビート・ジェネレーションへ


1960年代から1970年代にかけてアンダーグラウンド・カルチャー運動は、おもに「ビート・ジェネレーション(ビートニク)」と連動していた。ちなみに、ビート・ジェネレーションという語は、1948年前後に「ニューヨークのアンダーグラウンド社会で生きる非遵法者の若者たち」を総称する語として生まれている。

 

また、ビート・ジェネレーションの人々は第二次世界大戦後の数年間にジャン=ポール・サルトルとアルバート・カミュ周辺に集まったパリ実存主義運動の哲学者や芸術家、詩人たちから影響を受けている。

 

サルトルやカミュはアンリ・フルネによって1942年に創設されたフランス・レジスタンス集団「コンバット」のメインあーだった。フルネやサルトルやカミュはみんな地下活動情報を伝えるためにアンダーグラウンド・プレスを発行していた。

 

また、このようなフランスのアンダーグラウンド文化はアメリカにおいて1940年代、冷戦が始まる以前、おもに社会主義思想の一つとして浸透して、ジャック・ケルアックやアレン・ギレンズバーグに影響を与えた。

 

しかしながら、この社会主義思想はソビエトの全体主義のような統一・管理された社会主義ではなく、むしろ現代の社会を再考しようとする芸術家や夢想家たちの自由思想的表現を推進するための思想だった。

 

小説家で初期のカウンターカルチャー評論家ジャック・ケルアックは1958年に雑誌『エスクァイア』アンダーグラウンド文化に対してこのように話している。

 

「サルトルやジュネといった実存主義と似たようなことが戦後にも起こった。それがビート・ジェネレーションだ。ビート・ジェネレーションの精神は、もともと私たちの精神の中にあったものだと思う。

 

ワーデル・グレー、レスター・ヤング、デクスター・ゴードン、ウィリー・ジャクソン、レニー・トリスタノといったサックス奏者のレコードを聴き、街の新鮮な新しい文化や感覚について、ブラック・コーヒーを飲みながら24時間起きて語りあった。

 

まるで第一回十字軍を率いたゴーティエ・サンザヴォワールのように、アイオワ州をヒッチハイクで横断し、さまざまな沿岸や街を駆け抜けて、あごひげを生やしながら旅をした。

 

神秘的なヒーローがいて、彼らに関する小説を書き、アメリカの地下文化の新しい天使を祝福する長い詩を作った。

 

ビートニクは短期間であり数も多くはなかったが、ケアルックはこのようなアンダーグラウンド文化やフリークシーンなどの多様な文化に関する発展プロセスや定義を説明するのに数年かかった。」

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■参考文献

 

Underground culture - Wikipedia