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【見世物】ランディアン王子「タバコを吸う芋虫男」

ランディアン王子 / Prince Randian

タバコを吸う芋虫男


概要


生年月日 1871年10月12日
死没月日 1934年12月29日
国籍 ガイアナ系アメリカ人
病名 テトラアメリア症候群
職業 見世物芸人

ランディアン王子(1871年10月12日~1934年12月19日)は、見世物小屋の世界でとても有名な芸人でした。生まれは南米ガイアナですが、アメリカで活動していたため、広く知られるようになりました。

 

彼は「蛇男」「彫像男」「芋虫男」といったユニークな呼び名でも呼ばれていました。これは、彼がテトラアメリア症候群という病気で、両腕と両脚が生まれつきなかったためです。この病気に罹患すると、頭蓋骨や肺に重篤な医学的異常が生じることが多く、死産や出産直後の死亡につながる可能性がありました。これは、手足や体の健康な発達を制御するタンパク質を生成する WNT3 遺伝子の変異によって引き起こされます。

 

ランディアン王子が特に人気を集めたのは、驚きのパフォーマンスです。

なんと両手足がないにもかかわらず、口にくわえたマッチで火をつけ、その火でタバコに点火するという芸を披露しました。観客はその器用さに驚き、熱狂しました。

 

また、1932年公開の映画『フリークス』(トッド・ブラウニング監督)にも出演しており、そこで実際にタバコに火をつけるシーンを見ることができます。

 

伝えられるところによれば、1889年に有名な興行師P・T・バーナムによってアメリカに呼ばれ、18歳で舞台に立つようになったと言われています。その後、ニューヨークのコニーアイランドのカーニバルや、サーカスのサイドショーなどで、なんと約45年間も観客を楽しませ続けました。

 

👉 つまりランディアン王子は、ハンディキャップを逆手にとってパフォーマンスを作り上げ、世界中の人々を驚かせたスターだったのです。

この映像は、1932年公開の映画『フリークス(Freaks)』(監督:トッド・ブラウニング)からのシーンで、ランディアン王子が実際にタバコに火をつける場面を収めています。まさにあの有名なパフォーマンスを楽しめる貴重な映像です。

生涯


ランディアン王子は、イギリス領だったガイアナのデメララという町で生まれました。生まれつき両腕と両脚がなく、その姿から「蛇男」などと呼ばれるようになったのです。

 

宗教はヒンドゥー教で、なんと ヒンドゥー語・英語・フランス語・ドイツ語 の4か国語を話せるマルチリンガルでした。

 

1917年に「SSパリマ号」という船の乗客名簿に、彼の名前が残っています。その記録によると、かつてカリブ海のヴァージン諸島にあるセント・トーマス島の首都、シャーロット・アマリーに住んでいたことがわかります。

 

ンディアン王子には「プリンセス・サラ」と呼ばれた妻がいました。彼女もヒンドゥー教徒で、1872年に生まれた女性です。ふたりの間には 3人の娘と1人の息子 がいました。

 

長女:メアリー・ランディアン(1893年生まれ)

長男:リチャード・ランディアン(1901年生まれ)

次女:エリザベス・ランディアン(1904年生まれ)

三女:ウィルヘルミーナ・ライディアン(1904年生まれ)

 

大家族で、子どもたちに囲まれて暮らしていたことがわかります。

 

1920年代、ランディアンは「クラウゼ・アミューズメント・カンパニー」という興行団体で働いていました。その頃はニュージャージー州のプレーンフィールドに住んでいました。

 

晩年は妻とともに、同じくニュージャージー州の パターソン市ウォーター・ストリート174番地 に居を構え、亡くなるまでそこで暮らしたと伝えられています。

パフォーマンス


パフォーマンスのとき、ランディアン王子はいつも 体全体をすっぽり覆うウールのワンピース を着ていました。その姿はまるで 芋虫や蛇、ジャガイモ のように見え、観客に強い印象を残しました。舞台の上では、腰や肩を揺らしながら器用に移動し、その動きもまた観客を驚かせました。

 

もっとも有名なのは、口だけを使ってタバコに火をつけ、回したりする芸です。映画『フリークス』の中でも、この場面を見ることができます。それ以外にも、彼は口を使って次のような芸を披露しました。

 

・筆やペンをくわえて 字を書いたり絵を描く

・木のブロックに固定したカミソリを使って ヒゲをそる

 

まさに「体がなくても、工夫と器用さで何でもできる」という姿を見せつけたのです。

 

舞台で使う 道具や小物は木箱に大切に保管されていました。その木箱はなんと ランディアン自身の手作りで、色を塗り、鍵まで取り付けてあったといわれています。彼にとって小道具はただの道具ではなく、芸の命を支える宝物だったのです。

晩年


ランディアンは1934年12月19日午前7時死去。63歳だった。1934年12月19日、ランディアンは最後の舞台を終えた数時間後に心臓発作で亡くなりました。その舞台はジャージー州の博物館で行われたものでした。

 

彼を知る人々は、ランディアンを単なる「見世物」としてではなく、魅力・知性・ユーモア・機知を兼ね備えた人物として記憶しました。彼は観客の予想を裏切り、会う人に喜びを与える存在だったのです。

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