【見世物】ジョイス・ヘス「161歳のジョージ・ワシントンの元乳母」

ジョイス・ヘス/ Joice Heth

161歳のジョージ・ワシントンの元乳母


概要


生年月日 1756年
死没月日 1836年2月19日
国籍 アフリカ系アメリカ人
職業 見世物芸人、奴隷

ジョイス・ヘス(1756年-1836年2月19日)はアフリカ系アメリカ人奴隷。P・T・バーナムに買われ、"161歳のジョージ・ワシントンの元乳母"という売り文句で見世物にされた。

 

ヘスの幼少期のことに関してはほとんどわかっていない。1835年に彼女はジョン・S・ボーイングに奴隷として扱われており、ケンタッキー州のルイビルで展示されている。1835年6月、彼女はプロモーターのR・W・リンジーやコーリー・バートマンに売られている。リンジーは彼女をジョージ・ワシントンの子ども時代の姥として紹介して売り出したが、成功しなかったので、興行師のP・T・バーナムに売り払うことにした。

 

1835年に発行されたジョイス・ヘスのイベント告知ポスターにはこのような文章が掲載されている。「ジョイス・ヘスは世界で驚くほど興味深く好奇心を誘います。彼女はオーガスティン・ワシントンの奴隷だった。彼女が服を着せていた意識のない幼児は、後年、わたしたちの英雄の父となり、栄光と勝利と自由へ導いた。彼女自身の言葉で、彼女が育てたこの国の建国の父のことを話してもらいましょう。ジョイス・ヘスは1674年生まれで、驚くことに、現在は161歳です」

 

バーナムが1835年8月10日、ニューヨークの二ブロス・ガーデンで彼女の展示をはじめたとき、彼女は人生は末期を迎えており、目が見えず、ほぼ完全に寝たきり状態だった。話すことは可能で、右腕を動かす能力だけはあった。7ヶ月間の巡回イベントをしている間、ヘスは「幼い頃のジョージ」というジョージ・ワシントンの作り話しをして、賛美歌を歌った

 

エリック・ロトによれば、当時、ヘスは週に1500ドルを売り上げていたという。興行師としてのバーナムのキャリアはジョイス・ヘスから始まる。なお、彼女の公称年齢161歳について、多くの人から疑われたため、バーナムは彼女の死後に公然検死を行うと告知した。

 

ジョイス・ヘスは1836年2月19日、推定79歳で死去。大衆を喜ばせるためバーナムは1836年2月25日にヘスの公的検死を行なった。50セントの入場料を払ってニューヨークズ・シティ・サロンに集まった1500人の観衆の前で、バーナムは外科医デビッド・L・ロジャーズ医師に検死させ、その指示に従った。

 

ロジャーズ医師が161歳という年齢は間違いであると発表すると、バーナムは被験者は別の人物で、ヘスはまだ生きておりヨーロッパにいると主張した。のちに、バーナムは自分のフェイクを認めた。