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【見世物】花咲男「さまざまな屁芸で江戸の注目を集めた芸人」

花咲男/ Hanasaki Man

さまざまな屁芸で江戸の注目を集めた芸人


花咲男の絵看板『風流司李暗管音』
花咲男の絵看板『風流司李暗管音』

概要


花咲男は安永三年(1774年)の4月から、江戸の両国で活動をはじめた見世物芸人。自由自在に屁をかます芸で人気を集めた変わった曲芸師だった。

 

昔からつたえられた梯子屁(プップップッと連続的に放つおなら)をはじめ、さままざまな曲芸ならぬ曲屁をかまし、それが見世物はじまって以来の珍興行で、評判が高く、日々見物客が押し寄せ、観場周辺は足の踏み場もない状況だったという。

 

小屋前には「花咲男」と書かれたのぼりが立ち、絵看板が掲げられた。絵看板が独特で、それは奴姿の男が尻を出し、その尻からちょうど空想にふけったり、夢を見ているときの様子を表すように尻のわれめから2つの線が空に広がり、その空間に梯子をはじめ、さんばそうの鈴、水車などの小物が描かれていた

 

舞台の中央に座り、花咲男自ら口上を述べたあと、下座の囃子のあわせて「トツピョロピョロピッピッ」と屁をかます。ついでニワトリの朝の鳴き声を「ブ・ブゥ〜ブゥ〜」という屁の音で真似し、その後、長唄や浄瑠璃に合わせて、リズムよく音色を変えながら屁をぶっこらぶっこらかましたという。

 

最後に「淀の水車」と名づけた屁芸で「ブウブウブウ」と屁をならしながら自身の身体を横転させる様子は、まさに、水を汲んでは移す水車のような趣きが感じられたという。

 

あまりにも花咲男の人気が高かったため、江戸中の人気を一身に集めて、付近の見世物が崩壊したといわれている。

 

江戸での興行が成功したあと、花咲男は関西へ移り、京都の四条河原や大阪の道頓堀で興行し、ここでも人気を集めたが、安永6年(1777年)には再び江戸に戻り、花を咲かせ、三国福平と改名して興行を続けた。

 

ただし、江戸に戻ってきたときは、以前ほど満員にはならなかったので、その後、どことなく屁のように姿を見せなくなり、声も臭いもなくなくなったという。

■参考文献

・『見世物研究』朝倉無声

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