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【完全解説】法輪功「道徳的な哲学と瞑想と気功の実践を組み合わせた中国の気功集団」

Falun Gong


マンハッタンで瞑想の練習をしている法輪功修練者。
マンハッタンで瞑想の練習をしている法輪功修練者。

概要


法輪功、または法輪大法は、「真実」「思いやり」「寛容性」(中国語:真善忍)の教義を中心とした道徳的な哲学と瞑想と気功の実践を組み合わせた中国の気功集団

 

仏教の道徳、徳の修養、気功法を重視しているがその教えには道教の伝統的な要素も含まれている。法輪功の修練者は、道徳的な規範と瞑想の実践を通じて、執着心をなくし、最終的には精神的な悟りを得ることを目指してる。

 

法輪功は、1992年に李洪志によって中国東北部で始められた。中国の「気功ブーム」の末期に生まれたもので、この時期には、瞑想、ゆっくり動くエネルギー運動、規則正しい呼吸法などよく似た修練が中国全土で盛んに行われていた。

 

法輪功がほかの気功学校と異なるのは、会費や正式な会員資格がなく、また、毎日の礼拝の儀式もないインターネットを中心に世界中で情報の連絡や発信を行っているゆるやかなネットワーク集団であることである。

 

法輪功は当初、中共政府の支持を得ていたが、1990年代半ばから後半にかけて、共産党と公安機関は、法輪功の規模の大きさ、国家からの独立性、精神的な教えから、潜在的な脅威とみなすようになった。

 

1999年までに、中共政府は法輪功学習者の数を7000万人と見積もり、その間、法輪功の否定的な報道が国営メディアで発信されるようになり、修練者たちは関係したメディアに対してピケッティングで対応した。

 

1999年4月には、1万人以上の法輪功学習者が北京の中央政府ビルの近くに集まり、法輪功の法的承認と国家の干渉からの自由を求めた。このデモは、その後の迫害・虐待のきっかけとなったと広く認識されている。

 

1999年7月20日、中共指導部は全国的な取り締まりと多面的なプロパガンダキャンペーンを開始し、法輪功を根絶を始める。1999年10月には、法輪功に言及したウェブサイトへのインターネットアクセスを遮断し、法輪功を社会の安定を脅かす「異端の組織」と宣言した。

 

その後、中国の法輪功学習者は、さまざまな人権侵害を受けていると言われている。数十万人が超法規的に投獄されていると推定されている。2009年の時点で、人権団体によれば、少なくとも2000人の法輪功学習者が拘束中の虐待で死亡したと推定している。中国の臓器移植産業に供給するために数万人が殺されたのではないかと推定もされている。

 

 

法輪功の創始者である李洪志は、1996年以来、100人ほどの信奉者と一緒にニューヨーク市の警護施設で生活しており、法輪功は世界的にかなりの支持者を獲得している。中国国内では、何百万人もの人々が迫害にもかかわらず、法輪功を修練し続けている人がいると推測されている。

 

西洋の学者たちは法輪功を、気功訓練、スピリチュアル運動、中国古代の伝統的な修養システム、あるいは中国の宗教の一形態と表現している。

法輪功の起源


法輪功は、中国では気功運動と呼ばれている。気功とは、現代の言葉で説明すると、ゆっくりとした動き、瞑想、呼吸法などのさまざまな修練を指す。気功のような運動は、歴史的に仏教の僧侶、道教の武術家、儒教の学者によって、精神的、道徳的、肉体的に洗練されたものとして実践されてきた。

 

近代気功運動は1950年代初頭に出現し、共産党幹部が健康増進のための方法としてこの技術を取り入れていた。宗教ではなく医学として扱われていた。そのため、毛沢東の文化大革命期に李洪志は、宗教的な慣習との関連を避け迫害を逃れるため、当たり障りのない「気功」という言葉を採用している。ほかの気功採用者たちも、宗教的な意味合いを避け、漢方医学の一分野として捉えていた。

 

1978年12月の「第11期3中総会」で、鄧小平が復権すると、社会主義中国も「自由化」と「民主化」の新しい道が開き始めた。そのような流れのなかで、かつて「宗教はアヘンなり」といって弾圧していた中共政府もようやく精神的なものに気を使う余裕をしめはじめた。

 

1982年3月に中共政府が出した『第19号文献』は、その嚆矢ともいうべきもので、鄧小平体制が成立後の宗教政策の根本方針を明示したものとして、その後の「宗教ブーム」の引き金を引いた。また、同年1982年に、李洪志は中共政府公認の「気功師」の免許も取得し、公然と組織活動をしていた。

 

この「宗教・信仰の自由」を公認する基本方針は、同じ年に成立した『新憲法』の中でもはっきりと明文化されている。すなわち、「正常な宗教活動は、国家がこれを保護する」という条文である。法輪功の修練者たちが必死になって「憲法違反だ!」と叫んでいるのも、ここに根拠があるのだ。

 

このような新しい風のもと、毛沢東時代の宗教弾圧以降の精神的な空白が続く中で、数千万人の都市部の高齢者を中心とした中国人が気功をはじめ、さまざなカリスマ気功師が中国全土で現れた。一時期、2000以上の気功学習が行われた。

 

1985年に国営の中国気功科学研究会(CQRS)が設立され、気功ムーブメントの監督・管理しはじめる。

 

1992年5月13日、李洪志は中国東北部の長春市で法輪功(法輪大法とも呼ばれる)に関する初の公開セミナーを開催する。

 

李洪志は、彼の伝記の中で、仏教と道教の伝統的な師匠たちから「修行」の方法を教えられたと話している。その中には、仏派大法の第十代目の継承者である泉寿、長白山の道教の異名を持つ大道派の師匠が含まれている。法輪大法は、彼が受け継いだ教えを再編集したものだという。

 

李洪志は、法輪功を「何世紀にもわたる修行の伝統」の一部として紹介し、共産主義時代に捨てられていた気功の宗教的、スピリチュアルな要素を復活させようとした

 

法輪功はほかの気功学校とは一線を画しており、その教えは精神的、形而上学的なテーマを幅広くカバーしており、道徳と徳を重視し、完全な宇宙論に基づいているという。


■参考文献

https://en.wikipedia.org/wiki/Falun_Gong、2020年4月26日アクセス