【見世物】アニー・ジョーンズ「アメリカで一番人気の「ひげ女」」

アニー・ジョーンズ/ Annie Jones

アメリカで一番人気の「ひげ女」


概要


 

生年月日 1865年7月14日
死没月日 1902年10月22日
国籍 アメリカ
病名 多毛症
ステージ名 エサウ・チャイルド(幼児期)、エサウ女(成人期)

アニー・ジョーンズ・エリオット(1865年7月14日-1902年10月22日)はアメリカのパフォーマー。P・T・バーナムのショーに"エサウ女"というステージ名で出演して人気を博し、一般的には"ひげ女""あごひげ女"として知られていた。

 

彼女は多毛症だったか、もしくは両性的な遺伝子も持ち合わせおり、成人になっても男性ホルモンの影響で髭が生えていたのか、その病気の詳細はよくわかってない。

幼少期


 ジョーンズは1865年7月14日ヴァージニア州南西部のスミス郡マリオン町で生まれた。ジョーンズは生後たった9ヶ月でバーナムのショーに出演。

 

バーナムはジョーンズの母親と3年契約を結び、週に150ドルのギャランティを受け取り、娘とともにニューヨークで暮らすことになった。しかし、契約して初年のうちに、ジョーンズの母は家族問題でヴァージニア州へ戻ることになり、アニーはバーナムが乳母を雇って世話をすることになった。

 

彼女は旧約聖書の全身毛皮のように生まれてきたエサウにちなんで、"エサウ・チャイルド"という売り文句を付けられ、ショーに出演した。5歳で彼女は立派な口ひげや頬髭をはやし、一般的には"あごひげ女"というあだ名で有名になった。

 

アメリカの写真家のマシュー・ブラディは、1865年の生誕時から彼女の写真を取り続けている。生まれたときから死ぬまで、ブラディは彼女を撮影し続け、彼が撮影した写真は世界中に広まっている。

少女時代のアニー・ジョーンズ
少女時代のアニー・ジョーンズ

誘拐事件


このころ、もしかするとバーナムの売名行為のための作り話だったかもしれないが、アニーは幼いころに地元のニューヨークの骨相学者に誘拐されたことがある。

 

捜索の結果、バーナムと警察が教会の見本市で彼女を発見するが、誘拐した男が自分の子どもである主張したので、裁判事件に発展する。アニーが法廷にあらわれ両親に会うやいなや、彼女は真っ直ぐ母親のもとへ駆け寄り、裁判は幕を閉じたという。

 

この事件のあと、母親はずっと仕事中は彼女の側から離れないようになった。

成人期


大人になるとジョーンズは国一番の"髭女"として、バーナム一団のフリークスの代表者として活躍した。ステージ名は「エサウ・チャイルド」から「エサウ・レディ」に変更された。なお、彼女は「フリークス」という言葉を嫌い、その言葉を仕事から消そうとしていたという。

 

ジョーンズは1881年にリチャード・エリオットと結婚したが、1895年に離婚。その後、幼馴染のウィリアム・ドノバンと再婚するが彼は急死して、ジョーンズは未亡人となる。1902年にジョーンズはブルックリンで結核が原因で死去。