【見世物】アンナ・ベイツ「身長241cmの巨人女」

アンナ・ベイツ/ Anna Bates

身長241cmの巨人女


概要


 

生年月日 1846年8月6日
死没月日 1888年8月5日
国籍 カナダ
病名 巨人症

アンナ・ヘイニング・ベイツ(1846年8月6日-1888年8月5日)はカナダ人パフォーマー。身長241cmの巨人症の女性。両親は平均的な身長のスコットランド移民だったという。

 

アンナは1846年、カナダのバスコシア州コルチェスター郡ミルブルックで生まれた。生まれたときの体重は7,200グラムだった。13人兄弟の3番目の子どもで、ほかの兄弟はみんな平均的な身長だった。彼女は産後、非常に早く成長した。4歳の誕生日には137cmに達し、6歳で157cmになり母親の背と変わらないほどになった。その後、11歳で188cmで体重は89kg、15歳で210cmに達した。3年後には最終の身長である240cmに達した。足のサイズは36cmだった。

 

アンナは文学や音楽に優れ、非常に頭がよかったと言われている。演技、ピアノ、声も優れていた。演劇でシェークスピアのマクベス夫人を演じたこともある。

 

1862年、16歳のときにニューヨークの興行師P・T・バーナムと契約をかわす。両親とともにニューヨークへ移り、月に1,000ドルのギャランティにくわえて、快適な宿泊施設、最高のドレスが提供した。また彼女はまだ勉強もしたかったので、3年間にわたって1日当たり3時間の家庭教師からの個人指導を受ける契約も交わしたという。

 

バーナムはアンナを身長2.46メートルの「世界でもっとも背の高い女の子」として大々的に宣伝し、91.4メートルのサテンと45.7メートルのレースで作った衣装をあつらえて身なりを整えた。

 

ショーではよく小人症のパフォーマーのコモドア・ナットと共演して対比させた。アンナは当時世界で最も背が高い巨人で、彼女は得意なトークで多くの人々を集めたという。バーナムは彼女について「知的であり、決して醜い女性ではなかった。彼女が出演していた間は、何千もの人々が訪れた」と記録している。

 

バーナムのショーに出演して、人気を博す。バーナムの博物館が火災にあって焼失した際、彼女はあわや火災に巻き込まれて死ぬところだった。階段は炎に包まれており逃げ出すには窓から脱出するしかなかったが、彼女は身体が大きすぎたため脱出できなかった。18人もの男性の助けをかりて、なんとか脱出することができた。彼女の平均的な体重は約150kg、最高のときは168kgあったという。

 

同じ巨人症の男性(236cm)で婚約者のマーティン・ヴァン・ビューレン・ベイツとカナダのハリファックスのサーカスを訪れたときに、彼女はプロモーターの目に留まり、その場で二人ともスカウトされた。なお、巨人カップルは1871年6月17日にロンドンのセント・マーティン・イン・ザ・フィールズ教会で結婚式を挙げた。

マーティン・ヴァン・ビューレン・ベイツとの結婚式の様子。
マーティン・ヴァン・ビューレン・ベイツとの結婚式の様子。

1872年、アンナ・スワンと夫は130エーカーの土地を購入し、家具はオーダーメイドで購入し、また夫マーティンは家の建築設計の監督も行った。家屋の主要部分の天井は4.3mあり、ドアは一般的なものより大きく、2.4mの高さがあった。家の後部は客や使用人が使うため通常のサイズで設計された。

 

1872年5月19日に長女を出産するが、流産となった。体重は8,100gだった。1872年5月19日に長女を出産するが、流産となった。体重は8100gだった。1878年の夏の巡業中、アンナは2度目の妊娠をする。1879年1月18日に生まれたが、11時間後に死亡した。これまで記録された中で最も大きな新生児で体重10.7kg、身長約75cm、足のサイズは6インチだったという。

 

子どもの相次ぐ死産により、二人は元気がなくなり巡業から遠ざかっていった。夫婦は1879年夏にコール・ブロス・サーカスで巡業し、1880年春に巡業をおこなう。その後、彼女は夫婦が所有している農園で静養することになった。1877年には地元のパブテスト教会に通うようになり、夫とともにミサに出席した。

 

42歳の誕生日の前日である1888年8月5日、彼女は自宅で寝ているときに急性心不全で急死した。それまで彼女は甲状腺腫瘍に苦しんでいたという。