【完全解説】アンドロギュヌス「男性的な特徴と女性的な特徴を組み合わせた両性具有」

アンドロギュヌス / Androgyny


概要


アンドロギュヌスは曖昧な形で男性的な特徴と女性的な特徴を組み合わせたものである。アンドロギュヌスという言葉はおもに「性差」「性同一性」「性表現」「性的アイデンティティ」として使われることがある。日本では両性具有(りょうせいぐゆう)と訳され、乳房を持った少年、あるいは男根を持った女性などの形男女両性を兼ね備えた存在の事を指すことが多い。

 

アンドロギュヌスという言葉が、人間の混合した「性差」を指すとき、それは多くの場合、ふたなり、両性具有などのインターセックスの人々のことを指している。インターセックス

とは生物学的特徴として、雌雄の特徴を持つ部分が区分されている「雌雄モザイク」とは異なる状態である。ふたなり、両性具有など。ヒトの場合半陰陽雌と呼ぶときもある。

 

アンドロギュヌスという言葉が、「性同一性」を指すとき、精神的特性を指し、それは多くの場合、Xジェンダー、クィア、ジェンダー・ニュートラルなどと呼ばれることもある。ほかに、トランスジェンダーの男性や女性と名乗ることもあれば、シスジェンダーと名乗ることもある。

 

アンドロギュヌスという言葉が、「性表現」や「性的アイデンティ」を指すとき、個人的な外見身繕い、ファッション、または一定量のホルモン治療によって達成することができる。

 

アンドロギュヌスの性別表現は、さまざまな文化や歴史を通じて人気が高まり、衰退してきた。

語源


名詞としての「Androgyny」は1850年頃に使用されるようになり、形容詞の「androgynous」 が名詞化された。形容詞の使用は17世紀初頭にさかのぼり、それ自体は古いフランス語(14世紀)と英語(1550年頃)の用語「androgyne」に由来している。最も古い起源をたどると古代ギリシャ語とラテン語にさかのぼる。

歴史


アンドロギュヌスの生物学的な性の特徴(性差)、性同一性、または性表現に関することは、人類の初期から世界中の文化の中で記録されてきた。

 

たとえば、古代シュメールでは、アンドロギュヌスやインターセックスの男性は、シュメール神話のイナンナの教義に深く関与していた。ガラと呼ばれる祭司たちがイナンナの神殿に従事し、そこではアンドロギュヌスの叙情歌や哀歌が披露されていた。

 

後のメソポタミア文化では、クルガルルとアシヌは女神イシュタルに仕える者で、女装をしてイシュタルの神殿で戦争の踊りを披露していた。いくつかのアッカドの古い言い伝えによれば、彼らは男性との性行為にも従事していたかもしれないことを示唆している。グ

 

メソポタミアに関する著作で知られる人類学者のウェンドリン・リック(Gwendolyn Leick)は、これらの人々を現代のインドのヒジュラと比較している。アッカドの賛美歌の中の一つでは「イシュタルは男性を女性に変える」と書いている。

 

代ギリシャ神話のエルマフロディトゥスとサルマキスは、不死身の二人の神が融合して一つの不死身になったという話で、何世紀にもわたって西洋文化の中で引用されてきた。

 

アンドロギュヌスと同性愛は、プラトンの『饗宴』において、アリストファネスが、コミカルな意図で聴衆に伝えている様子がある。

 

この中でアリストパネスは、人間は昔、2つの体が背中にくっついていて、ぐるぐると回転する球体の生き物だったという。太陽から降りてきた男と男の組み合わせの人地球から降りてきた女と女の組合わせの人月から来た男と女の組み合わせの人の3つの性別がああった。最後の組み合わせは、アンドロギュヌスのカップルを表していた。いずれも手足が4本ずつ、顔と性器も2つずつあった。

 

これらの球体の人々は神々を乗っ取ろうとしたが、失敗した。ゼウスは彼らを真っ二つに切り裂くことにしたが、アポロに切断面を修復させへそという修復痕ができ、二度と神々に逆らわないようにとの注意を促した。もし彼らが逆らうならば、彼は再び彼らを二つに切り裂いて片足で飛び回ることになるだろうと。

 

これは、アンドロギュヌスについて書かれた初期の文献の一つであり、女性の同性愛(レズビアン)について言及されている古典ギリシャ語のテキストの中で唯一のケースである。

 

アンドロギュヌスへのほかの初期の言及は天文学を含み、ときどき暖かく、ときどき寒い惑星に与えられた名前でもあった。

アレクサンドリアのフィロソフィストなどの哲学者や、オリゲンやニュッサのグレゴリウスなどの初期キリスト教の指導者たちは、人間の本来の完全な状態としてアンドロギュヌスの考えを広め続けた。

 

中世ヨーロッパでは、アンドロギュヌスの概念は、キリスト教の神学的議論と錬金術理論の両方で重要な役割を果たした。

 

ダマスコスのヨハネやエリウゲナのような影響力のあった神学者たちは、初期の教会の教父たちが提案した堕落前のアンドロギュヌスを理想とし、一方、他の聖職者たちは現代の両性具有者の適切な見方や扱いについて説明し、議論していた。

 

西洋の秘伝としてアンドロギュヌスは、近代になっても続いた。1550年の錬金術思想のアンソロジーである「DeAlchemia」には、影響力のあった論文『哲学者のロザリー』に、女性の原則(ルナ)と男性の原則(ソル)の神聖な結婚が書かれている。これは「神のアンドロギュヌス」を生産、二元論、変換、および異性の結合の超越的な完全性のアルカイックヘルメス主義な信念を描いている。

 

アンドロギュヌスの象徴と意味は、ドイツの神秘主義者ヤコブ・ベーメやスウェーデンの哲学者エマニュエル・スウェーデンボルグの関心事だった。

 

現在の堕落した世界に先んじて、あるいは次の世界のユートピアである男女の完全な合体である「普遍的なアンドロジェンヌ」(あるいは「普遍的なエルマフロディーテ」)という哲学的概念は、ロシクルス会の教義やスウェーデンボルジア主義や神智学などの哲学的伝統においても中心的な役割を果たしている。

 

20世紀の建築家クロード・ファイエット・ブラグドンは、この概念を数学的に表現したマジックスクエアを、彼の代表的な建築物の多くに使用している。

 

多くの非西洋文化では、アンドロギュヌスのアイデンティティの存在を認識している。ユダヤ文化は、タムタムというアンドロギュヌスがいる。中国文化には陰陽人というジェンダーが存在する。インドでは、ヒジュラが第三の男女として存在する。

 

サモア人は第三の性別としてファファフィネが存在する。ネイティブアメリカンの文化では、第三の性別としてトゥー・スピリットが存在する。

 

インドネシアのブギス族は5つの性別が存在しており、その中のビススがアンドロギュヌスに当てはまる。ハワイの文化では、第三の性別であるマーフが存在する。オアハカンのサポテック文化では、第三の性別としてMuxeが存在する。

シンボルと図像


古代・中世の世界では、古代グレコ・ローマ神話に登場する変容の力を持つ杖のカドゥセウスによって、アンドロギュヌスや両性具有者が芸術の中で描かれてた。

 

カドゥセウスはティレシアスによって作られたもので、交尾する蛇を攻撃したことに対する罰で、ジュノーにより女性に変えられたことを表しているという。

 

このカドゥセウスは後にヘルメス/水星によって伝えられ、水星の天文学的シンボル、また雌雄両性を持つ植物学的シンボルの基礎となった。そのシンボルは今ではトランスジェンダーの人の間で使われることがある。

カドゥセウスから派生した水星のシンボル
カドゥセウスから派生した水星のシンボル

中世から近世にかけてのもう一つの一般的なアンドロギュヌスを示す図像は、太陽や月のモチーフを用いて、男性と女性が合体したレビスである。

レビス画(1617年)
レビス画(1617年)

さらにもう一つのシンボルは、今日では太陽の十字架と呼ばれるもので、男性用の十字架(またはサルタイア)と女性用の円を組み合わせた『薔薇と十字架』である。この記号は現在、地球の天文学的シンボルとなっている。

『薔薇と十字架』アンドロギュヌスのシンボル
『薔薇と十字架』アンドロギュヌスのシンボル

生物学的側面


歴史的にアンドロギュヌスという言葉は、男性と女性の性特性が混在した人間に適用され、ときに男女雌雄体いう用語と同義に使われることもあった。植物学のようないくつかの分野では、アンドロギュヌスと男女雌雄体は現在でも互換性を含む使い方をされている。

 

アンドロギュヌスが身体的特徴を指す言葉として使われる場合、それはしばしば、男性と女性の特徴が混在しているため、生物学的性別が一見では識別しにくい人物を指すことが多い。

 

なぜなら、アンドロギュヌスは生物学的性別とは異なり、ジェンダー・アイデンティティ性表現に関連した意味を包含しているため、今日では、アンドロギュヌスという言葉は、生物学的性別の特徴を記述するために使用されることはほとんどない

 

「インターセックス」という言葉があるが、より正確には、混合したまたは曖昧な性特徴を持つ個人を表すために使用されることが多い。

 

しかし、インターセックスの人も非インターセックスの人も、ホルモンレベル、内性器と外性器の種類、第二次性徴の出現など、男性と女性の混合した性形質を示すこともある。

精神的側面


個人のジェンダー・アイデンティティ、自分自身の性別に対して男性と女性の両方の側面を持っていると自覚している場合は、アンドロギュヌスとして記述されることがある。

 

そして、アンドロギュヌスを自称する人の多くは、精神的にも感情的にも男性的であり、女性的でもあると認識している。彼らはまた、「ジェンダー・ニュートラル」「ジェンダー・クィア」「Xジェンダー」「ポスト・ジェンダー」という言葉を使うことがある。

 

アンドロギュヌスの人々は、精神性だけでなく仕事でも日常的なふるまいにおいても、自由に従事することができる。彼らは、男性と女性の両方の美徳を含むバランスのとれたアイデンティティを持っている。

ファッション


ファッションや芸術などで男性的な特徴と女性的な特徴の混合物を含む表現も、アンドロギュヌスと表現されることがある。

 

ジェンダー表現における男性性と女性性のカテゴリは、社会的に構築されてきたものであり、衣服、行動、コミュニケーション・スタイル、およびプレゼンテーションのなどにおいて共有概念がある。

 

ある文化では、アンドロギュヌスなジェンダー表現は祝福されてきたが、他の文化では、アンドロギュヌスな表現は制限されたり、抑圧されてきた。

 

西欧では歴史の大半を通じ、性別に応じて人々の服装を規定してきた。たとえば、ズボンは伝統的に男性の服装で、女性には好まれなかった。しかし、1800年代には女性のスパイが登場し、フランス軍連隊に従軍した女性酒保商人のヴィヴァンディエールはズボンの上にドレスを着ていた。

 

この時期の女性社会活動家たちズボンを履いていた。たとえば、女性の権利活動家であり、プエルトリコで初めて公共の場でズボンを履いた女性のルイサ・カペティージョが代表といえる。

 

1900年代、第一次世界大戦前後から伝統的なジェンダーの役割が曖昧になり、ポール・ポワレやココ・シャネルなどのファッションの先駆者たちが女性のファッションにパンツを導入した。この時代の女性に流行った「フラッパー」は、パンツとシックなボブのスタイルで、女性にアンドロギュヌス的な外観を与えた。フラッパーは日本では「モボ・モガ」というスタイルで流行した。

 

自らズボンを履くことに愛着を持っていたココ・シャネルは、ビーチパジャマや乗馬用の服など、女性のためのズボンのデザインを生み出した。

クリミア戦争のヴィヴァンディエール。1855年
クリミア戦争のヴィヴァンディエール。1855年
男装するルイサ・カペティージョ。
男装するルイサ・カペティージョ。
アメリカの女優ルイーズ・ブルックス(1927年)。フラッパー女優の一人と呼ばれていた。
アメリカの女優ルイーズ・ブルックス(1927年)。フラッパー女優の一人と呼ばれていた。

1930年代には、マレーネ・ディートリッヒのようなグラマラスな女優たちが、ズボンを履いてアンドロギュヌスなスタイルを取り入れたいという強い願望で、多くの人を魅了し、衝撃を与えた。ディートリッヒは、プレミアでズボンを履いた最初の女優の一人として記憶されている。

 

1960年代から1970年代を通じて、女性解放運動はイヴ・サンローランをはじめとするファッション・デザイナーに影響を与えた可能性が高い。

 

イヴ・サンローランがデザインしたル・スモーキング・スーツが1966年に登場し、ヘルムート・ニュートンがエロティックなアンドロギュヌスな写真でル・スモーキングをアイコニックかつクラシックなものにした。

 

ル・スモーキングのタキシードは女性らしさを主張して物議を醸し、ズボンに革命を起こした。

ロックン・ロールとアンドロギュヌス


エルヴィス・プレスリーは、1950年代以降のロックン・ロールにアンドロギュヌス・スタイルを導入し、それをロックン・ロールの標準スタイルにした人物とされている。プレスリーの可愛らしい顔とアイメイクの使い方は、当初「女々しい男」だと思わせることが多かったが、ロックン・ロールのルックスの原型と見られるようになった。

 

ローリング・ストーンズやミック・ジャガーが「無意識のうちに」アンドロギュヌスになったのは彼のせいだと言っている。こうして、男性、特にサブカルチャーの世界でアンドロギュヌスの要素が見られはじめた。

 

戦後、都市部の焼け野原周辺にたむろして軽犯罪に手を出していたストリートの若者たちは、ドレープスーツと呼ばれるゆるいシルエットのスーツにループタイ、ラバーシューズを身に着け、エルビス・プレスリーのようなオールバックにグリースをたっぷりつけたヘアスタイルを模倣するようになった。これらの若者はテディ・ボーイと呼ばれた。

 

テディ・ボーイは1950年代初頭にロンドンのティーンエイジャーを中心にはじまったとイギリス全土に広まった。また同時に、テディ・ガールも誕生し、彼女たちはペンシルスカートやロールアップジーンズ、フラットシューズなどを着用して保守的な社会に反抗した。ズボンをはき男性的なファッションを取り入れたテディ・ガールや、女性のように髪型のセットに時間をかけるテディ・ボーイは当時の社会では完全に異質だった。

 

男性のためのアンドロギュヌスなファッションの急増は、1960年代から1970年代に入ってから本当に始まる。1969年にローリング・ストーンズがロンドンのハイドパークで演奏したとき、ミック・ジャガーはイギリスのデザイナー、ミスター・フィッシュがデザインした白い「男のドレス」を着ていた。

 

マイケル・フィッシュとも呼ばれるミスター・フィッシュは、ロンドンで最もファッショナブルなシャツメーカーであり、キッパー・タイの発明者であり、メンズファッションにおけるピーコック革命の主なテイストメーカーでもあった。彼がミック・ジャガーのために作ったファッションは、60年代のスウィングの縮図と言われている。それ以来、アンドロギュヌスのスタイルは多くのセレブリティに採用されるようになった。

 

1970年代、ジミ・ヘンドリックスはハイヒールやブラウスをよく履いていた。

 

デヴィッド・ボウイはアルバム『ジギー・スターダスト』を発売した際に現れた、彼の分身であるジギー・スターダストはアンドロギュヌス的なキャラクターだった。「ジギー」は、ボウイ自身の説明によれば「バイセクシャル」であると公言しており、また、差し迫った終末論的な災害の前にやってきたロックスターという設定である。

1970年代になるとアンドロギュヌスがメインカルチャーに躍り出て、ポップカルチャーに大きな影響を与える。この時期のもう一つの大きな影響は、『グリース』や『サタデー・ナイト・フィーバー』に主演した、1970年代の「ディスコ」時代のアンドロギュヌスな男性ヒーローの一人であるジョン・トラボルタの存在である。

1980年代に入り山本耀司のような前衛的なファッションデザイナーが台頭してくると、ジェンダーをめぐる社会的な構造に挑戦をはじめた。

 

彼らはジェンダーの問題に取り組み、ファッションにおけるアンドロギュヌスを再活性化させた。これは、デヴィッド・ボウイやアニー・レノックスのような1980年代のポップカルチャーにも反映されていた。

 

また、1980年代には、歌手でファッションモデルでもあるグレース・ジョーンズがジェンダー・スワーストな姿で登場し、世間を驚かせた。彼女のアンドロギュヌスなスタイルは多くの人にインスピレーションを与え、現代のセレブたちのアンドロギュヌスなスタイルのアイコンとなった。

 

2016年、ルイ・ヴィトンはジェイデン・スミスが婦人服の宣伝に起用することを明らかにした。このような出来事があったことから、ファッションにおけるジェンダーの流動性についてメディアで精力的に議論されるようになった。


■参考文献

https://en.wikipedia.org/wiki/Androgyny、2020年12月20日アクセス