アブル・ジャバール / Abul Djabar
アフガニスタン史上、もっとも恐れられた男

概要
生年月日 | 不明 |
死没月日 | 1970年10月21日 |
活動国 | アフガニスタン |
確定犠牲者 | 65 |
推定議定者 | 300以上 |
アフガニスタンで「史上最悪」とも言われた連続殺人犯が、アブル・ジャバーという男でした。彼は1970年10月21日に処刑されるまでに、少なくとも65人を殺害し、実際には300人以上の男性や少年を手にかけていたのではないかと疑われています。
アブル・ジャバーは、詳細な生い立ちが多くは伝わっていない謎めいた人物です。しかし、その活動が20世紀半ばのアフガニスタン社会に暗い影を落としたことは間違いないでしょう。人々は彼の存在に気づかぬまま、何百人もの男性や少年が命を奪われていった。
ジャバーの手口は残虐で、しかも独特だった。彼は被害者を襲い、強姦しながらターバンを首に巻きつけて絞殺した。ターバンという日常的な衣服が、恐怖の象徴へと変わった瞬間である。
犠牲者は少なくとも65人。だが捜査当局は、300人以上が犠牲になった可能性があるとみていた。間に数日から数か月の空白を挟みながら繰り返された犯行は、人々を恐怖と混乱に陥れた。
彼の連続殺人に終止符を打ったのは、ある犯行の最中だった。次の犠牲者を絞殺しようとしていたところを警察に発見され、その場で逮捕されたのである。
裁判では数々の証拠が明るみに出され、死刑判決が下された。そして1970年10月21日、アブル・ジャバーは絞首刑に処された。
恐るべきは彼の残虐さだけではなかった。犯行の過程で、すでに2人の無実の人間が冤罪により処刑されていたのだ。真犯人の逮捕によって、司法制度の過ちがようやく明らかになった。
この事件は、連続殺人の恐怖とともに、冤罪の重さを社会に突きつける結果となった。
アブル・ジャバーの処刑は、アフガニスタンにひとつの安堵をもたらした。しかしその背後に横たわるのは、数え切れぬ命の喪失と、取り返しのつかない司法の過ちである。
彼の名前は、単なる犯罪者としてではなく、社会に残した深い教訓とともに語り継がれていくだろう。
■参考文献
・https://en.wikipedia.org/wiki/Abul_Djabar、2025年9月7日アクセス
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