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【解説・まとめ】ひまわり学生運動「台湾で初めて立法院が占拠された抗議デモ」

ひまわり学生運動 / Sunflower Student Movement

台湾で初めて立法院が占拠された抗議デモ

概要


ひまわり学生運動は、2014年3月18日から4月10日にかけ、台湾の立法院に対して学生と市民との連動で行われた抗議デモ運動。のちに行政院に対しても抗議デモ運動が行われた。

 

活動家たちは、国民党が立法議会で法案を条文ごとに検討審議することなく海峡両岸サービス貿易協定(CSSTA)を強行採決したことに反対した。

 

学生たちが立法院を占拠し、抗議すると、ほかの支持者が立法院の外にも詰めかけ、大きな抗議運動に発展した。3月30日には集会が開かれ、総統府前に警察発表で11万人、主催者発表で50万人が参加した。

 

ひまわりのデモ参加者は、この協定について、中国との貿易協定が台湾経済を損ない、また、北京からの政治的圧力に対して脆弱な状態になると認識していた。

 

一方、条約の支持者たちは、中国による投資の増加が台湾経済の活性化に必要不可欠であるとみなし、条約の実施に関する不透明さは台湾にとって有利に解決するもので、また条約の撤回をすると、台湾の国際的な信頼性を損なうだろうと反論した。

 

デモ参加者たちは当初、条文ごとに検討審議するよう要求したが、その後、貿易協定そのものの拒否、中国との将来の規約に対する綿密な監視を可能にする法律の可決、および憲法修正を議論するための市民会議を開くことを要求した。

 

こうした運動の結果、馬英九総統は、立法院の監視機能を定めた条例を法制化するまで、サービス貿易協定の審議はしないことを約束し、4月10日に学生たちは立法院から自主退去した。立法院が市民に占領されたのは初めてだった。

名称


「ひまわり学生運動」という用語は、デモ参加者たちがひまわりを「希望」のシンボルとして使っていたことを端に発する。運動期間に、台湾の花屋が立法院の建物の外にいる学生たちに1000本のひまわりを寄贈したことで広まったという。

 

「ひまわり」は台湾の民主化に道標をしめした1990年のワイルド・リリー運動の暗示でもあった。ひまわり学生運動は「3月18日の学生運動(318学運)」、または「台湾議会の占領」と呼ばれることもある。

ひまわり学生運動とサブカルチャー


ひまわり運動が発生する前に、サブカルチャー運動の発展が、デモ活動を公衆に広く伝えるのに役立った。

 

台湾での若者の活動が増えるにつれ、多くの衣料品ブランドが台湾に現れ、これらのブランド清貧はデモ活動の間に人気があり、台湾の市民社会に関する政治的メッセージを表現するのに役立った。

 

サブカルチャー運動のおかげで人気になった本や映画があり、また、一部のカフェやハウス、書店のなかにはは青年活動家たちが集まる場所になった。台北内で頻繁に抗議活動が行われる場所は、活動家の集合場所でもある。

 

たとえば、学生運動以来、「黒箱」は台湾社会で日常的に使われる言葉になった。同時に「鹿茸(シカの角袋)」「香蕉(バナナ)」「太陽餅」も大衆のパロディの対象になっている。一部のネチズンは、太陽餅を購入して行政院に送りつけるものもいる。

ミュージック


また、社会問題に関する作品を一部のインディーズのバンドやアーティストたちの作品が、活動を通じて台湾の青年運動家たちの間で非常に注目を集めるようになった。

 

たとえば、ヒップホップでインディー・ロックのバンド「拷秋勤」の作品《官逼民反》は、官(政府)が民衆を力で押さえつけることにたいして民衆が反抗を起こす内容である。

 

また、パンクロックの「滅火器」は、ひまわり運動期間中に運動のための曲を「グッドナイト、台湾」という曲を演奏した。また、《島嶼天光》という曲を作り、これはひまわり学生運動の代表曲となった。

 

3月27日、メンバーの楊大正は立法院の現場で歌い、録音撮影を行い、その後、台湾芸術大学の学生により2つのミュージックビデオを作成し、インターネット配信を行った。

 

 

3月31日、「滅火器」はでも運動中に《島嶼天光》を歌い、立法院で撮影したミュージックビデオを配信した。

ストリート・アート


ひまわり学生運動がはじまって4日目の3月21日には、民進党の政治家施明徳の16歳の娘の施蜜が、立法院の3階の外壁にスプレーで「當獨裁成為事實,革命就是義務独裁」(日本語:真実であるとき、革命は義務となるのです。)というストリート・アートを描いた。

背景


3月17日、台湾の国民党(KMT)は、2013年6月に中国と調印した海峡両岸サービス貿易協定(CSSTA)を、民進党の反対があるにも関わらず、また、条項ごとに審議することなく審議ルールを無視して立法院で強制的に批准しようとした

 

以前、2013年9月に両党は、協定が及ぼす影響について学者、NGO、貿易部門の代表者たちらとで貿易協定の詳細に関する16の公聴会を開催して意見を交わす取り決めをしていた。国民党は1週間以内に8回の公聴会の議長を務めたが、社会グループ、NGO、影響を受けるとされる産業の代表者たちの中にはは招待されなかったか、土壇場での通達があった。

 

学者や産業の代表者たちが公聴会で意見を述べると、議会の内部管理委員会の議長である国民党のチャン・チン・チュアンは協定全体を採択する必要があり、修正はできないと述べた。

 

その後、3月17日まで議長を務めることに同意して8回の公聴会を終えていたが、民進党の反対もあり、議会は停滞が続いた。国民党の見解では、協定の詳細は十分検討されたと見なし、3月21日の最終投票のための本会議に送付しようとした。本会議が開かれば協定の批准は確実だった。

占拠


立法院の占拠


この詳細な審議なしでの本会議の送付に対して、民進党を始め多くの社会団体が抗議の声を上げた。

 

3月18日午後9時頃、学者、学生、市民組織、およびほかの抗議デモ参加者の群衆が議会のフェンスを乗り越えて侵入。混乱で立法院の窓が1つ破壊され、警察官が重傷を負った。

 

デモ参加者担当の弁護士によれば、これまでに6人が抗議により逮捕されたという。数百人のデモ参加者が建物の外に残り、約300人のデモ参加者が一晩中立法院を占拠し、警察による追い出しを阻止することに成功した。

 

抗議デモ参加者は、協定における条項ごとの見直しの再開を要求した。行われないなら、本会議が行われる3月21日まで立法院を占拠することを誓った。夜が深くなるにつれ、東京は建物の水と電気を遮断した。江李華首相は、デモ隊を立ち退かせるために機動隊を派遣するよう命じたが、結局、実行されなかった。

 

運動が始まって間もなく、警察庁からの数千人の機動隊がデモ参加者を取り巻くために全国から動員された。

 

警官隊による排除の際に負傷者が出る一幕があったが、王金平は立法院の責任者として「強制排除は行なわない」と話したので、警察は強制執行に乗り出さなかった。運動では「非暴力抵抗」が強調され全体として極めて平和的に推移した。

 

3月21日、王議長は馬英九大統領と江義華首相との会談を拒否し、大統領は国民の意見を聞くべきであり、議員の間で妥協が必要であると述べた。江首相は3月22日に議会外のデモ隊と会ったが、行政機関は貿易協定を破棄する予定はないと述べた。

 

3月23日の記者会見で、馬大統領は貿易協定を通過する決意を再表明し、北京からの命令に従って行動していないことを言い切った。

行政院の占拠


記者会見に応じて、デニス・ウェイが率いるデモ参加者のグループが3月23日の午後7時30分ころに行政院を襲撃し占拠。

 

デモ参加者は3月24日午前5時までに行政院から追い払われたが、中小東路に再び集会した者もいた。報告によれば10時間に及ぶ騒動の中、約1000人の機動隊と法執行機関の職員が、放水砲や警棒などを使って非暴力的なデモ参加者の頭部へ過剰な暴力を加えたという。一方、ジャーナリストや医療関係者には現場から立ち退くよう命じられた。

 

150人以上の負傷を出し、61人が逮捕された。台湾ジャーナリスト協会によれば、騒動中メディアに対しても暴力を振るい、報道の自由を侵害したとして警察を非難した。

交渉


以前、大統領は対面会談を行わないと言ったが、3月25日馬総統は学生抗議の代表者を事務所に招き、「前提条件なし」で論争の的になっている貿易協定に関する対話を行った。

 

学生リーダーのリン・フェイファンは当初招待に応じ、対談において前提条件を行わないことに同意したが、学生たちは台湾がすべての両岸協定を監視するために新しい法律を必要とするかどうか議論したいと話し、その法律が導入されるまでCSSTAを延期するべきかどうか議論したいと話した。

 

しかし、次の日の3月26日、デモ参加者のリーダーたちは、馬総統に対して要求の解答を得るために会合を呼びかけたにも関わらず、会合の招待を拒否した。

 

国民党の議長だった馬が党の規則で国民党の議員を支配していると感じたため、党派間交渉は再び抗議と協定について合意に達しなかった。

 

3月26日、学生抗議者たちはすべての議員に、両岸協定を可決する前に、両岸協定を監督する法律の制定を支援するよう求めた。学生運動家は保証文書を起草し、すべての議員に承認してもらうために文書に署名するよう求めた。

集会


3月27日、学生運動のリーダーの1人であるリン・フェイ・ファンは、大統領府から議会に至るケタガラン大通りを埋めるデモを行い、馬大統領にデモ参加者の要求に留意するよう圧力をかける集会を3月30日に行うと発表した。

 

デモの主催者は、3月30日の集会で約50万人が集まると述べたが、警察によれば116,000人と見積もられている。この集会には22のNGO団体も参加した。運動に反対する何百人もの人々が同じ地域で同時に集会を開いたが、学生が解散する前に去った。

 

4月1日、貿易協定を支持する数百人の親中派の活動家が議会の強奪に反発して集会を起こした。このグループは「ホワイトウルフ」としても知られる台湾の有名なギャングリーダー、チャン・アン・ローが組織したものである。彼は17年前に逃亡した中国から台湾に戻ったときに逮捕され、その後保釈されているが、彼は犯罪組織に関連する告発に直面している。

 

立法院を占拠するひまわり学生運動が始まると、それを民進党を始めとする泛緑連盟の謀略であると判断したチャン・アン・ローは積極的に両岸協定を支持する運動を展開した。チャンは街宣車に乗り「民進党は汚職まみれだ」等と訴えたが、学生らへの要望書すら用意していなかったこともあり無視された。

解決


4月4日、馬総統は、学生たちが要求していた立法院などの監視機能を定めた法令案(両岸協議監督条例)を行政院で決定した。

 

学生らの要求に対して、一定の譲歩を示したが、学生側はより透明性の高い制度を要求しており、さらに両岸貿易協定そのものを見直すよう求めている。

 

馬英九が一定の譲歩を示したことで、4月2日から3日にかけてのTVBSの世論調査では、立法院からの退去を主張する意見が33%となり、占拠継続への支持26%を逆転し、上回った。

 

4月6日、立法院の王金平院長は学生側の要求に応じ、「両岸協議監督条例」が法制化されるまで、サービス貿易協定の審議を行わないと表明するととともに、学生側に議場から撤退するよう呼びかけた。この提案を受けて学生側は、「この段階での任務を達成した」として4月10日に立法院から退去することを発表した。

 

しかし、国民党の次長のファン・ロイタイは記者会見で、王は闇の中に彼らをとどめるよりも、事前に国民党員と相談すべきと述べた。

 

この提案を受けて学生側は、4月7日に記者会見を開き、「この段階での任務を達成した」として4月10日午後6時に立法院から退去することを発表した。