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【完全解説】ホラー映画「恐怖感を与えることを目的とした映画」

ホラー映画 / Horror film

恐怖感を与えることを目的とした映画


1922年のドイツ映画『ノスフェラトゥ』の有名シーン
1922年のドイツ映画『ノスフェラトゥ』の有名シーン

概要


ホラー映画とは視聴者に恐怖感を与えて楽しませることを目的とした映画である。

 

エドガー・アラン・ポー、ブラム・ストーカー、メアリー・シェリーなどの文学作家に触発されて制作された映画がホラー映画の原点で、映画黎明期から1世紀以上にわたり、現在にいたるまで安定した人気を獲得している映画のジャンルの1つである。

 

ホラー映画ではよく「大量殺人」と「超自然現象」がテーマとなり、ファンタジーや超自然フィクション、スリラーなどほかの映画ジャンルと重なる部分もある。

 

ホラー映画は視聴の悪夢、恐怖、嫌悪感、未知への恐怖を呼び起こすを目的とし、平和的な日常世界に邪悪な力や人物や事件がからまりあって展開するプロットが一般的である。

 

平和な日常をかき乱す要素としては、幽霊、宇宙人、吸血鬼、狼男、サタニズム、邪悪な道化師、ゴア、拷問、凶暴な動物、魔女、モンスター、ゾンビ、カニバリズム、サイコパス、自然災害、人工災害、シリアルキラーなどがよく見られる。

 

ホラー映画をさらに細かくジャンル分類すると、低予算ホラー、アクションホラー、コメディーホラー、ボディホラー、ホリデーホラー、災害ホラー、サイコホラー、ホラードラマ、ファウンド・フッテージ、ゴシックホラー、ゾンビホラー、超自然現象ホラー、SFホラー、スラッシャー、一人称視点ホラー、ティーンズホラーなどがある。

歴史


1890s-1900s


世界初のホラー映画とされるのは発明王トーマス・エジソンがプロデュース、アルフレッド・クラークが監督をつとめ、1895年8月28日にアメリカで公開されたサイレント映画『メアリー女王の処刑』である。

 

スコットランド女王だったメアリー・ステュアートの処刑を描いた18秒の作品で、ストップモーション技術をうまく使っており、斧を振り下ろす直前にメアリーは人形に置き換えられている。

 

次に紹介するジョルジュ・メリエスよりも早くトリック撮影を行ってろい、映画史上、はじめて特殊効果が使われた作品でもある。ただし、のぞき眼鏡式の映写機キネトスコープで上映された。

スクリーン上におけるホラー映画と関わりのある最初の描写は、1890年後半フランスの映画製作のパイオニアことジョルジュ・メリエスが製作した短編サイレント映画群にあらわれる。

 

初期超常現象的なホラー作品で有名なのは3分の短編映画『悪魔の館』(1896年)である。この映画はよく最初のホラー映画と紹介される。『悪魔の館』ではいたずら好きな悪魔が中世の城の中に現れ、訪問者を怖がらせる。

 

メリエスのほかの人気映画作品は『悪魔の洞窟』(1898年)で、この作品では、洞窟で亡くなった人たちの骸骨や霊が住む洞窟に遭遇する女性の物語である。

 

メリエスはまた、現在ではホラー・コメディとしてみなされる短編映画も製作しており、眠ろうとすると巨大な蜘蛛と苦闘することになる男の話『困った一夜』(1896年)などが代表的な初期ホラー・コメディ作品である。

 

1897年、熟練のアメリカの写真監督ジョージ・アルバート・スミス『X線』(1897年)を製作。X線が発明されてからわずか2年後に製作されたホラーコメディである。この映画では相思相愛の骸骨のカップルを描いている。制作意図がよくわかっていない多くの観客は、恐ろしくこの世の世界のものではないと感じたという。

翌年、スミスは短編映画『幽霊の撮影』(1898年)を制作し、「超常現象解析」というサブジャンルの先駆的作品とみなされている。この映画では幽霊を撮影しようと試みようとするが失敗に終わる3人の男性を描いた話である。

 

日本もまたホラー・ジャンルに対して早くから手を付けている。1898年、小西写真展活動写真は浅野史郎撮影監督による『死人の蘇生』や『化け地蔵』という2本のホラー映画を公開している。『死人の蘇生』は2人の男が運んでいた棺桶の底が抜けて落ちた死体が、その拍子に息を蘇生するという話である。

 

スペインの映画監督セグンド・デ・ショモンは最も重要なサイレント映画監督の一人とみなされており、カメラ・トリックや錯視的な演出で人気を博し、初期映画史において「トリック・フィルム」という短編サイレント映画のジャンルを築いた。彼の代表的な作品は『サタンの遊び』(1907年)『幽霊の家』(1908年)で、お化け屋敷の初期映画描写と見なされている。

 

また、ショモンとフランスの監督フェルディナンド・ゼッカとのコラボレーション映画『赤い幽霊』(1907年)は、神秘的な洞窟で悪魔のような魔術師が女性たちを閉じ込め怪しげな儀式を行う作品である。

Satán se divierte, or Satan at Play (1907)
Satán se divierte, or Satan at Play (1907)

アメリカのセリグ・ポリスコープ・カンパニー社はホラーを原作とした小説の改作映画をはじめて製作した。1908年に同社が公開した『ジキル博士&ハイド氏』は現在フィルムを消失しており閲覧することはできないが、1886年に刊行されたロバート・ルイス・スティーヴンソンの古典ゴシック小説『ジキル博士とハイド氏』を原作としている。

 

ジョルジュ・メリエスは映画に『ファウスト』伝説の要素を取り入れることを好んだ。実際、フランスでは、悪魔と契約を結んだ男のドイツ逸話を少なくとも6作品は製作している。最も有名な『ファウスト』映画は、1903年の『ファウストの堕落』である。

 

メリエスはエクトル・ベルリオーズのオペラ版『ファウスト』からインスピレーションを得たが、物語よりも地獄めぐりを表現する視覚的な特殊効果に注意が向かう作品となっている。映画では舞台装置の技術をうまく使い、発煙、ストップ・トリック、黒い背景のスーパーインポーズ(複数の映像を重ねること)、ディゾルブといった特殊効果が使われている。