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【文化】ブリストル・アンダーグラウンド「グラフィティとドラムンベースが連結したアンダーグラウンド・カルチャー」

ブリストル・アンダーグラウンド / Bristol underground scene

グラフィティとドラムンベースが連結したアンダーグラウンド・カルチャー


※1:ブリストル・アンダーグラウンドの有名クラブ「Motion」
※1:ブリストル・アンダーグラウンドの有名クラブ「Motion」

概要


ブリストル・アンダーグラウンドは、1990年初頭から現在までブリストルで進行しているグラフィティ・アートとドラムンベースが連結したアンダーグラウンド・カルチャーのことである。

 

ブリストルは、イギリス西部の港湾都市。ロンドンから西へ約170キロ離れた場所にある。人工は約40万でイギリス全体で8番目に人口が多い都市である。現代美術家ではダミアン・ハーストがブリストル出身である。

 

マッシブ・アタックが中心的になって文化を盛り上げたため「ブリストル・マッシブ」とも呼ばれる。ブリストルはさまざまなミュージシャンやアーティストを生み出し、また彼らはその都市文化の象徴ともいえる。

 

1990年代に流行したブリストルから生まれたバンドやプロダクトの総称「ブリストル・サウンド」と最も関連が高く、現在も街の活発で多様なアンダーグラウンド・アーバン・シーンを維持する源泉となっている。

 

ブリストルはヒップホップから影響を受け発展した「トリップホップ」という音楽ジャンルの発祥地である。イギリスのウェブマガジン『サロン』は、「トリップホップはボヘミアン的で他民族的な都市のブリストルで生まれた」と話し、ブリストルの落ち着きのない独創的なDJたちが、グルーブ、ヘビー・アシッド・ジャズ、ダブ、ネオサイケデリア、テクノディスコミュージック、ブレイニー・アート・ラップなどさまざまなサウンドのサンプルを組み合わせるのに何年もかけ、トリップホップが生まれたという。

 

また、ブリストル・アンダーグラウンドは音楽だけでなく美術、なかでもグラフィティ・アートとの関連が強い特徴がある。

 

マッシブ・アタックの創設メンバーで、元々はグラフィティ・アーティストのロバート・デル・ナジャや、地元のグラフィティ・アーティストのバンクシーは、ブリストル・サウンドのアルバムカバーやアートワークを制作している。バンクシーとの共同試作車であるインキーもブリストルのカウンター・カルチャー・シーンに参加している。

ブリストル・サウンド


ブリストル・サウンドは、1980年代後半から1990年代初頭にかけて発生したブリストルのバンドや音楽プロデューサーに対して名付けらた言葉である。

 

ブリストル・サウンド系のバンドはトリップ・ホップと呼ばれる音楽ジャンルを生み出し、ほかのイギリス人や海外のバンドの多くがトリップ・ホップに影響を受けたものの、ブリストル・サウンド系の多くはトリップ・ホップという言葉を使うのは避け、伝統的なヒップ・ホップと区別されることを嫌っていた。

 

トリップ・ホップという言葉は、音楽ライターのアンディ・ペンバトンが1994年6月の英国の雑誌『Mixmag』で、レーベルMo'WaxからリリースされたDJシャドウの楽曲『In/Flux』と初期のケミカル・ブラザーズを「トリップ・ホップ」と表現したことに由来し、ブリストル・サウンドのミュージシャンやプロデューサーが自身で造った言葉ではない。

 

ブリストル・サウンドは「高揚する闇を含んだ楽しい憂鬱」と説明されている。全体的にスローテンポのぼんやりとしたヒップホップなのが特徴で、1990年代初頭から中ごろにかけての多数のアーティストたちは、ブリストルの街そのものを表現した曲を制作していた。

 

代表的なアーティストは、マッシヴ・アタック、ポーティスヘッド、トリッキーで、ほかにはウェイ・アウト・ウエスト、スミス&マイティ、UP, BUSTLE & OUT、Monk & Canatella、Kosheen、ロニ・サイズ、ザ・ワイルドバンチなどもブリストル・サウンドに含まれる。

グラフィティ


ブリストルでは多くのグラフィティ・アーティストが活動している。最も有名なアーティストはバンクシーだろう。

 

彼はグラフィティだけでなく、ブラーやMonk & Canatellaといったミュージシャンらのアルバムカバーも制作している。

 

バンクシーの作品はブリストルをはじめ、ロンドン、バルセロナ、ニューヨーク、オーストラリア、サンフランシスコ、ヨルダン川西岸地区などで描かれており、国際的に認知されている。

 

バンクシーのグラフィティ作品は政治的メッセージが非常に強く、ブリストルで生活している庶民の声を発信する手助けとなっていると考える人々がいる。いいかえればグラフィティでないと、庶民の声を届けることができない現状でもあるというのだ。

 

ほかに、グラフィティは都市の景観の向上に役立っていると評価するものもいる。また一方で、バンクシーやグラフィティは単なる破壊行為である主張するものもいる。

 

ブリストルにおけるさまざまなミュージックやアートシーンの間には相互作用がある。国際的に成功したバンド、マッシヴ・アタックロバート・デル・ナジャは、はじめはグラフィティ・アーティストで、彼の最初のライブ・ギグはブリストルのギャラリーで制作した作品をともなうDJだった。

 

チューバによれば「3Dがニューヨークに行ったり来たりして、グラフィティ・アーティストを大勢連れてきたのが大きかったよね。ブリストルは小さなコミュニティなので、名前を覚えてもらうのも難しくない。ここらでは皆顔見知りだ。ロンドンにもグラフィティ・コミュニティがあるかもしれないけど、もっとバラバラで、緊密じゃない」と話している。

 

ブリストルのグラフィティの初期の歴史で重要となるのが、1985年7月、市内のアノフィニ・アートギャラリーで開催された「ブリストルのグラフィティ・アート(Graffiti Art in Bristol)」展である。

 

3D、ニック・ウォーカー、Zボーイズ、ボム・スクワッド、フェイド、ジャッファなどのアーティストが参加し、マッシヴ・アタックの前身となるザ・ワイルド・バンチが演奏した。

 

その後、ウォーカーや3D、インキーのほか、FLXやパリスといったアーティストなどがグラフィティ・シーンで活躍し、80年代後期に全盛期を迎える。

しかし、1989年、アンダーソン作戦と呼ばれる当局による大規模な取り締まりで、イギリスのグラフィティ・シーンは大打撃を受ける。イギリス全土で72人のグラフィティ・アーティストが逮捕された。

 

この影響でしばらくグラフィティはアンダーグラウンドへ潜んだが、最近になってブリストルのグラフィティ・シーンは勢いを取り戻すようになった。

戦後の労働移民がブリストルの多様性を生み出した


ブリストルは長い間、多文化的な都市だった。第二次世界大戦後の1950年代から1960年代にかけて、イタリアや南アメリカから労働移民が大量に押し寄せ、ブリストルを中心にアシュリー・ダウンやビショップストンといった都市は、イギリスで最も民族的な多様な地域の1つとなった。

 

この多様性は1960年代後半にジャマイカで発生したレゲエのような海外の新しい音楽ジャンルへの接近を容易にした。

 

移民たちはまた、セントポール警察の目が見て見ぬふりをする傾向がある深夜営業のバーを通して、街中に自分たちの縄張りをはっていった。

 

ぼんやりした暗部や陰鬱性が特徴


ブリストルのアンダーグラウンド・シーンの作風は、全体的にぼんやりした暗部や陰鬱性が特徴的である。

 

ポーティスヘッドやマッシヴ・アタックなどバンドは、スパース・インストルメンテーションを利用することで有名である。たとえば、メランコリックな歌詞を伴うボーカルやベースライン、サンプリングやスクラッチングのようなヒップホップと関わりの深い音響効果などである。

 

バンクシーの作品の特徴は、白黒のコントラストが鮮明で、色を使うことはほとんどなく、輪郭線はシャープである。また、政治・戦争・不平等に関するメッセージが含まれることが多い。

 

これら音楽やグラフィティなどの芸術とは別に、ブリストル・アンダーグラウンドに関してジャーナリストの中には、ブリストルの歴史に流れる目に見えない暗部に関して関連付けて話すものもいる。

ブリストル・アンダーグラウンドと社会問題


人種問題はブリストルの歴史において常に共振してきた。たとえば、ブラックボーイ・ヒルやホワイト・レディ・ロードといったストリート名はその名残である。

 

しかしながら、周知の事実として、ブラックボーイ・ヒルやホワイト・レディ・ロードも奴隷貿易との繋がりから生まれたストリート名ではない。両方の名前ともパブを由来している。

 

「いかがわしさは過ぎたことだ」とスティーブ・ライトはいう。「諸刃の剣だ。私たちは美しいジョージ王朝様式のテラスを愛するが、それが奴隷制があったからこそ成り立ったものだ。奴隷貿易は恥ずべき過去であり、今はブリストル人自らそのことを少し恥じだと感じており、恥ずべき過去を認識した上で、新しい共同社会を築いていくことに非常に熱心である。ブリストルは常に反抗的であり、破壊的な鉱脈が根付いており、バンクシーの作品はそのようなブリストルの歴史の上で制作されたものである」。

 

こうしたブリストルにおける政治的・社会的問題は、ブリストル・アンダーグラウンドで活躍するミュージシャンやアーティストたちの政治観に反映されており、イギリスのメインストリームの政治観とは少し異なる。

 

たとえば、ロバート・デル・ナジャは、ブリストル・アンダーグラウンドにおける最も影響力の高いミュージシャンだが、公然とイラク戦争に対して反対を主張していた。デル・ナジャもバンクシーともに反戦問題に関する作品を制作し、「戦争画」展に出品している。

 

また、もともとブリストルは伝統的に抵抗運動に誇りを持っている。1831年のクィーンズスクエアの暴動から、よく知られた婦人参政権運動を経て、1980年のセント・ポールズの暴動、そして禁煙では『ブリストリアン』のスキャンダラスな紙面作り、ブリストル・ブロガーの、サヴァタイジング(反広告)文化にも見られる。この街には確実に左翼的な感性が受け継がれている

ブリストル・インディペンデント・メディア


ブリストルは印刷媒体において確立された伝統がある。最も有名なのは『The Bristolian』誌や『Bristle』誌である。

 

アナーキストで『The Bristolian』の編集者のイアン・ボーンは数千部の定期刊行物を出版しており、手加減なく市議会および企業の腐敗に対する風刺批判を行っている。