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【2022年】麻原彰晃の世界「第一話 煩悩滅尽と「悲しみ」の大陸」

第一話 煩悩滅尽と「悲しみ」の大陸


オウム真理教の教えが、真の仏教、つまり真理に根付いている

いかに権力が叩こうとも、オウム残党が衰退することはない


ここに大変うまい手作りのバッグ屋がいた。この手作りのバッグ屋が作ったバッグは、なかなか壊れることなく、そしてその品格を持つ者のみが理解できる、そういう大変重みのあるバッグであった。

 

このバッグに対して、周りが、

「お前の持っているバッグは偽物だ。お前の持っているバッグは価値がない。」

と批判をしたと。

 

同じように、ここに大変優秀な腕をもった医者がいた。この医者は、来た患者を安らがせ、そして病を治すことができた。

 

この医者を周りが誹謗し、

「あそこの病院にいっても、病気は治らない。あそこの病院にいっても、悪くなるだけだ。あいつはインチキだ。」

と批判をした。

 

このバッグ屋にしろ、あるいは医者にしろ、その価値のある者にとっては、いかに周りが非難しようとも、全く価値が変わるものではない。

 

同じように、このオウム真理教の価値も、いかに権力が叩こうとも、その価値に変化が出るものではない。

 

 

宗教はウイルスのように根絶することはできない


 実際のところ、1991年に入り、救済活動を本格的に復活したオウム真理教に集った新しい信徒さんは、260名。そして、2月になり、その数字は400名に向かって、つまり月の入信者数が400名に向かって、どんどん拡大の傾向にある。

 

これは、オウム真理教の教義が、現代の人の心を本当の意味で安らがせる、ただ一つの煩悩滅尽の教えであるからであるといえる。

 

 

本来、価値というものは、関係のない第三者が、その価値がわからず批判できるものではない。現に、マスコミもオウム真理教の教義が叩いたことは一度もない。これは、なぜたたけないかというと、オウム真理教の教えが、真の仏教、つまり真理に根付いているからである。

 

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権力側にやっかいな「自由」それは「体制からの自由」


では、なぜオウム真理教が、この日本で大きくなっては困るんだろうか。それはそうである。現体制の権力は、要するに物資、お金といったもので国民を縛り、そしてがんじがらめにし、自分たちのしもべとして、手足として使いたがっている。しかし、国民一人一人は、本来、心に備わっている、自由・幸福・歓喜をどこかで求めている。この間には、大きなギャップがある。 

 

ところが、オウム真理教の教えは、その絶対的な自由・絶対的な幸福・絶対的な歓喜、つまり真我へと帰る道筋、これを教える日本における唯一の宗教だから、この教えに傾倒し、本当に実践を始めるならば、心が洗われ、そして現権力からの脱却を図ろうと心がそれに向かい、現代の価値観を超越した意識状態へと導かれるから、権力にとっては大変「怖い」ものなのである。

 

もともと宗教というものは、権力に対して迎合する必要もないし、あるいは権力に依拠する必要もない。つまり、全く独立の関係で宗教は成立しているはずなのである。

 

 

ところで、この価値観は、つまり皆さんを絶対的に幸福・自由・歓喜へと導くこの価値観は、わたしの生きている限り、絶対にねじ曲げるこ、たとえオウム真理教がつぶされたとしても、絶対にねじ曲げることはしないと考えています。

オウム真理教の教え「煩悩滅尽・不死・絶対的な平安」


それよりも、絶対的な真理を皆さんに実践していただくために、多くの証明、オウム真理教の証明というのは要するにね、経典郡をね、たとえば翻訳し、そしてその経典が、今わたしの説いている法、あるいは正悟師や正大師の説いている法と矛盾がまったくないと。

 

いや、それどころか、オウム真理教の教えは、同じ光のソースから来ているんだというこを証明していこうとし続けることであろう。そして、これは、皆さんに煩悩の滅尽を与え不死を与え、そして対的な平安の境地を与えます。

 

まず、煩悩滅尽はどのようにしたら生じるのかというと、これは心の本性と、それにまとわりつく煩悩があって、その煩悩がちょうど餅をね、引きちぎるように、ちぎれていく形でヴィジュアル的に切れます。そして、それを離解脱といいます。

 

では、不死とはどのようにして得られるのかというと、わたしたちの知らない、もうひとつのボディ、あるいはもう4つのボディ、あるいはもう5つのボディ、このボディを理解できるようになり、そしてそれを自由に操れるようになることによって、不死へと至ります。

 

では、絶対的な平安とはどのようにして生じるのかというと、修行を続けていく段階で、先程言った離解脱が生じ、そしていかなる要素も、その人の心に影響を与えなくなります。この段階で絶対的な平安が生じるのです。なぜならば、わたしたちの苦楽は、外的要因と心とが作り出した幻影にすぎないからなのです。

人が死んでいく形を舞踏、音楽、アニメなどの芸術で表現


オウム真理教では、多くの証明をしていきたいと考えています。たとえば、3月28日、「死と転生」というタイトルのもと、大阪にて公演を開きます。ここでの題材はなにかというと、人間がどのような形で死んでいくのかと。

 

そして、バルドーへ入り、まずコーザルのバルドー、アストラルのバルドー、そして現象界のバルドーへとどのようにして移行していくのかと。そのときどういう現象が現れるのかということを、実際に舞踏と、つまり踊りや舞と、そしてアストラル音楽によって、そして私のマントラと詞章によって、それを表現したいと思います。

 

あるいは、あと一週間ぐらいのうちに、アニメーションによってね、つまり『真理相応』、あるいは『超越神力』、あるいは『ガティーカーラ経』といったお経や、わたしの体験、これを動く経典として皆さんに見ていただき、感じていただきたいと考えています。

 

これらの試みは、皆さんに現代の価値観、この原題のデータの源を使いながら、真理のデータを入れていただきたいなと願う、わたしと、それから教団の愛が、やっと現象化してきたものだとおもいます。

4つの預流支


第一の預流支「三宝への帰依」


では、皆さんは何を実践じたら幸福になるのかと。何を実践したら、煩悩滅尽、不死、そして絶対的平安に到達できるのかと。それは「4つの預流支」です。

 

では、4つの預流支とは何かというと、まず第一は、三宝に対する帰依です。この三宝は、皆さんの今生の幸せだけではなく、来世以降の幸福を約束するものです。

 

では、三宝とは何かというと、一般に仏・法・僧といわれているもの。これを正しくいうならば、仏とは、真理を悟ったもの、つまり意識の、人間以上にはっきりし、神々の状態に到達している意識の者と。オウム真理教では、当然これはグルがそのパートを担当します。

 

では、法、ダンマ、これは何だと。これはオウム真理教の例えば教義、パーリ五部、あるいは悟り得た大師方の体験、悟り得た正悟師の体験、正大師の体験、そしてわたしの体験と。この部分が真理ということになります。

 

では、僧とは何かと。僧とはお坊さんのことだよ。オウム真理教にお坊さんはいないじゃないかと。実際、これはね、正確なサンスクリット語の発音をするならば、サンガ、これが中国へ渡り、ソウギャという言葉になり、そしてギャが取れて僧となりましたと。このソウギャ、サンガとは何かというと、これは「真理に集う者」の意味です。つまり、教団ということになります。

 

つまり、皆さんにとっての三宝とは、グル、そして真理、そして教団ということになります。これに対して帰依すること。帰依とは何かというと、奉仕や布施の実践を行うこと。これが第一の預流支です。

第二の預流支「多くの真理のデータを入力する」


では、第二の預流支は何でしょうか。これは、多くの真理のデータを入れるということです。たとえば、こういう説法会に参加する。あるいは、勉強会に参加する。あるいは、説法テープを聴く。あるいはアニメーションを見、それを聴くと。あるいは、その他のイベントに参加し、実際に見、聴くと。あるいは、『マハーヤーナ』を読むと。このような形で、多くの真理のデータを入れ、何度も何度も繰り返し記憶すると。これが、第二番目の預流支です。

第三の預流支「入力した情報をもとに思索する」


では、第三番目の預流支とは、何でしょうか。これは、その入れたデータをもとに、自分自身の身・口・意の統御、つまりコントロールに入ると。このコントロールに入るのは、あくまでも現世的な観念ではなく、先程述べた真理、これを土台として思索し、いい部分は、これはよしと、もっと増大させようと。悪い部分は、これはダメだと、そしてやめようと、減少させてやめると。それを瞑想すること、熟考すること、これが第三番目の預流支です。

第四の預流支「実際の行動に移す」


では、第四番目の預流支とは何かというと、その熟考したものを実際行動に移すと。例えば、身においては、殺生を離れ、偸盗を離れ、邪淫を離れると。言葉においては、妄語を離れ、綺語を離れ、悪口を離れ、両舌を離れると。心においては、貪りを離れ、嫌悪を離れ、邪見解を離れると、無智を離れると。これが四預流支の四番目。

4つの預流支の達成


では、預流支とは何かというと、これは4つの預流支とは何かというと、流れに乗っかる土台と。では、何の流れに乗っかかるんだといったら、この欲界から色界、そして無色界、マハー・ニルヴァーナへと至る流れに乗っかる土台

 

つまり、この4つの預流支の実践をなすことによって、必ずやその流れへ乗っかり、いずれ等覚、まり覚醒しますよと。そして、平安な境地に到達しますよと、そして不死へ至りますよ。これが預流支です。

 

そして、この1、2、3、4のまずは三宝帰依から入り、次に多くの法を学び、次に思索し、そして実践するという4つをなす者は、必ずやブッダとして未来に登場することになるでしょう。

悲しみの大陸「ジャンブ州」


いろいろな仏典を調べると、面白いことが書かれています。本来、人間の住んでいる大陸は4つあると。その住んでる大陸の最も貴重な大陸、これをジャンブ州というと。

 

その他、3つの大陸に比べて、このジャンブ大陸が優れている要因は、そのジャンブ大陸には、悲しみがあるからであると。他の3つの大陸は、喜びしか追い求めない大陸であると。

 

ではなぜ、悲しみのある、このジャンブ大陸がわたしたちに本当の意味での幸福を与えてくれるのかというと、それは悲しみという苦をわたしたちが経験することにより、それを乗り越えよう、取り除こうとすると。

 

そこで、布施功徳を積んだり、あるいは十の戒めを守ったりすると。

 

ところが、他の3つの大陸は、前生の幸福の果報によって楽しんでいるだけであって、そこで功徳を積まないから、次の生は悲惨な目に遭うんだと。

 

つまり、今苦しいと感じている人、今悲しいと感じている人が、一概に不幸とはいえないんだよと。わたしも、まさにそれと同じ境地を経験しました。そして、この言葉こそ、仏教の本義であるなと、真実だなと考えています。

 

今ここに集っている人の中で、絶対的な幸福を経験している人は、それでよろしい。それは、もっともっと修行することにより、深い深い喜びを経験しなさい。

 

逆に今ここで、悲しみや苦しみを経験している人は、それはあなた方が、自分自身の心の本質を理解するための、ジャンプの土台であるということを認識し、そして先程述べた4つの預流支の実践によって、ぜひとも幸福になっていただきたいと思います。

人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。


人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。どんなに大金持ちであっても、どんなに権力を有していても、どんなに周りから称賛されていても、どんなに愛する対象と一緒に生活していたとしても、人は必ず死にます。そして、死を前にした場合、どんな大国の王でも、あるいは多くの者を支配している者でも、あるいはどんな大金持ちでも、その死に対しては、その権力やお金は一切無効です。


出典元:『麻原彰晃の世界』第一巻/麻原彰晃