ブログカテゴリ:フリークス



芸人/見世物 · 06日 11月 2019
「見世物小屋」は、都市の盛り場や寺社の境内において、日常では見られないパフォーマンスや天然奇物、工芸などの「見世物」を期間限定で展示する小屋である。海外では「フリークショー」「サイドショー」と呼ばれている。都市の盛り場に建てられた博物館や常設館とは異なる。 日本において見世物小屋は、江戸時代から明治時代にかけて特に流行し、その後、大正、昭和を経て平成の現代まで、さまざまなかたちを変えて現在も行われている。
映像 · 21日 7月 2019
『フリークス』はトッド・ブラウニング監督によるアメリカのホラー映画作品。90分のオリジナル版は非常に衝撃的な内容とみなされ、さまざまなシーンがカットされた結果、エディション版は64分に短縮された。オリジナル版は現在存在していない。 この映画はトッド・ロビンズの短編物語『スパーズ』の要素を基盤にしたものである。映画に登場する人物は、カーニバルでサイドショーのパフォーマーで本物の身体障害者の人々によって演じられた。出演はウォーレス・フォード、レイラ・ハイアムズ、オルガ・バクラノヴァ、ロスコー・エイツなど。 身体障害者の出演者は、小人症一家ドール・ファミリー、ヒルトン姉妹、下半身のないジョニー・エック、小頭症のシュリッツやジップ&ピップ姉妹など。

芸人/見世物 · 20日 7月 2019
フリークショーとは“自然の畸形(freaks of nature)”と呼ばれる生物学的希少性を呼び物にしたショーのこと。日本語では見世物小屋に相当するものである。ショーで呼びものとなるのは、観客に衝撃を与える標準的な身体を持っている人々。巨人、小人、両性具有者、奇病の患者、全身に入れ墨を入れた者、また全身にピアスを入れた人、そして火を食べたり吹いたり、口に剣を突き刺す奇怪なパフォーマンスを行う人々たちのショーである。
芸人/見世物 · 17日 3月 2019
ジョゼフ・ケアリー・メリック(1862年8月5日-1890年4月11日)はイギリスの男性、見世物芸人。世界で最もひどい身体変形による畸形人として知られている。 当初は「エレファント・マン」という芸名でフリークショーで出演していたが、後に外科医のフレデリック・トレヴィスと出会いのちにロンドン病院に移り住む。イギリス社会で一般的に知られるようになるのは病院生活以後であるという。

芸人/見世物 · 15日 3月 2019
メアリー・アン・ビーヴァン(1874年12月20日-1933年12月26日)はイギリスの女性。先端巨大症。「世界で最も醜い女性」という呼び込みでサイドショーの巡業に参加していた。 メアリー・アン・ビーヴァンはロンドン、ウェスト・ハム、プレイストーのワーキングクラスの家庭の8人兄弟の1人として生まれた。学校卒業後に看護婦となり、1903年にトーマス・べヴァンと結婚する。 ビーヴァンは生まれつき先端巨大症ではなく、発症したのは結婚後、32歳のころだった。顔面の異常な肥大と変形で苦しみ、視力も衰退。それにともなって顔も醜くなりはじめる。
芸人/見世物 · 15日 3月 2019
ヘレン・ベイビー・バニー・スミス(1888-1951年)はアメリカの女優、見世物芸人。「肥満女」という呼び込み名を付けられ、おもに20世紀初頭ころにサイドショー巡業で活躍。 彼女は1888年4月、オレゴン州ポートランドで生まれた。子どものころは標準的な体格だったが、中等教育に通っているときに太りはじめた。学校を卒業すると13歳でサイドショーに入団し、パフォーマーとなる。その後、彼女の体重は500ポンド(226kg)まで増加した。 同じ見世物芸人で「生きた骸骨」という呼び込み名で活躍していたピーター・ロビンソンと出会い結婚し、2人の子どもをもうける。1951年に甲状腺機能低下症と診断され、しばらくして心臓麻痺で亡くなった。

芸人/見世物 · 14日 3月 2019
グレース・マクダニエルズ(1888年3月17日-1958年3月14日)はアメリカの見世物芸人。スタージー・ウェーバー症候群による重度の顔面変形で「ラバ面女」の芸名で知られている。彼女はハリー・ルイストンの巡業サーカスに入団し、週に175ドルを稼いでいた。
芸人/見世物 · 24日 2月 2019
熊女は宝暦九年(1759年)8月から江戸堺町で活動しはじめた見世物芸人。多毛症の女性で頭から手間で隙間なく黒い毛が渦巻いたように生えていて、乳首やヘソもわからないほどだった。 口上によれば、彼女は越後の山奥に住む猟師の独り娘として生まれたが、父親が自身の殺生の罪でこのような因果娘が生まれたと思い、罪をつぐなうため、彼女を見世物芸人にさせたという。

芸人/見世物 · 24日 2月 2019
ダルマ男は宝暦九年(1765年)の夏から大阪の坐摩社内で興行しはじめた見世物芸人。四国出身で、本名を駒吉という。膝から下の両足がないため「ダルマ男」と名づけられた。足がないにもかからず、さまざまな曲芸をたくみに演じたので、町中の人気を一身に集めた。 当時駒吉が演じた曲名は、雨中の曲、担桶の曲、吹貫の曲、坂上の鯱立の曲、高欄猿伝えひの曲、屏風伝え枕の曲などだった。 雨中の曲では、駒吉は逆立ちして帯に開いた状態の傘をさし、手に下駄をつけて歩いてみせた。担桶の曲も雨中の曲とおなじように逆立ちをするが、帯に傘の代わりに水がいっぱい桶をかけたてんびん棒をさして歩く点が異なる。
芸人/見世物 · 20日 2月 2019
可坊(べらぼう)は江戸時代前期の見世物芸人。寛文十二年(1672年)から江戸、大坂、京都の三都の観場で活動していた。 全身がまっ黒で、頭はピンヘッドのように鋭くとがっていたという。目は赤く丸く、あご猿のような顔をしており、いってみれば「馬鹿の象徴」ともいうべき存在だったという。今日における、程度がひどいことやばかげていることを意味する「べらぼう」「べらんめえ」のルーツとなった。

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